「無慈悲に自分自体に対する批判をしなければならない。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
台風が吹いて来れば台風を真っ向から押して行って台風を防ぐと言える、全ての事を遡って行かなければならない、反対に上がって行かなければならない時代を探さなければならないのだ。時が今やそのような時になる。そうでなければ、それをできなければついて行った食口たちと頻りに遠くなる。二つの輩が生じるのだ。
水で死んだ魚のように流れていく群れになるのか、生きたものになるのか?生きた小さな魚もいくら洪水が出ても側から上がって行くのだ。自分が生きることがわかる。それと同様に自分たちが受ける人生行路のすべてのものが流れて行くのにおいて包括されて従って流れて降りて行ったのだ。後退したのだ。どれほど前進したのかということ、これから皆さん自体が無慈悲に自分自体に対する批判をしなければならない。
そのためにその国の一番むつかしいこと、その環境の一番むつかしいこと、私がぶつかってそれを打開するためにどれほどの期間を過ごしたのかという問題をいつでも批判しなければならない。一つだけではない。台風が吹けば一か所に吹くのか?台風が吹けば一か所に吹かないというのだ。四方に吹いてくるものを一か所で防ぐそれ自体がいつも楯の起源になってそこに補うことができる私の余力があると言えば残されるのであって、余力がないという時には終わりだ。
そこで自分を手中する人たちは、自分の思い通りするという人たちは後退だ。これをよく知りなさい。今組織を新たに編成してすべてそうだが、昔自分の麾下にいた人が上に上がったとそれを普通視すればだめなのだ。
行くのに平安でありえないのだ。全ての事が、世の中のこととか、天のことや同様だ。平安であることを願いながら自分が願わないと思い通りできない。
そのためにいつも流れる水について行かず、遡って行かなければならない。風の吹く所を避けて行かず私が迎えて行かなければならないのだ。私というのはそのようなことをしなければならない。責任者はそのような道を行かなければならないのだ。
アメリカに残った人達は青字、自分は赤字だと、批判します。