「自分が体験するどんな『困難』や『障害』も全く取るに足りないものである」
から引用します。(出版・販売に感謝申し上げます。)
お父様が耐えなければならなかったその内容を考えてみる
お父様が耐えなければならなかったその内容を考えてみる時に、 自分が体験するどんな「困難」や「障害」も全く取るに足りないものであると、恥ずかしくなる思いでいっぱいになります。
そのことに影響されないようにするという選択もできた
怒りや恨みとかが起こってくるそれぞれの瞬間において、自分には選択の余地があったということが分かりました。 一方では、 極度に失望し怒るという選択もできたと同時に、 もう一方では、そのことに影響されないようにするという選択もできたということです。 自分自身が自分の苦しみをつくり出していたのでした。
こうして私は、自分が困難をうまく乗り越えることができないのは、自分自身の恨みと怒りに対する執着心のゆえであるということに気がついたのでした。
その時点から、世界がどんどん明るく輝くようになってきました。いつも行く先々で、自分の頭上に付きまとっていた雨雲も消えてしまいました。人生に対しても、もっとくつろぎを感じられるようになりました。
気がつかないうちに世俗主義の中に滑り戻って行かないようにする
坊主頭や修行服は、気がつかないうちに世俗主義の中に滑り戻って行かないようにするために、その決意をいつも忘れさせないようにする、 警鐘の働きをしているのです。いつも、霊的な修行の道に戻るように呼び出してくれる方法なのです