王妃様と神様の「関係」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
逆に、ああ、私がこんなにたくさん神様を考えることのできる可能性を持っている
私たち女性は不安になると一番初めにすることが、神様を信じなくなることだと思います。神様のことを考えずに、不安なことばかり考えるようになるみたいです。でも、私がこんなにまで不安がることができること考えてみると、逆に、ああ、私がこんなにたくさん神様を考えることのできる可能性を持っているんだなあと、そのように反対に考えてみることもできるのだと思います(笑)。
私は神様を本当に愛している人間なのか、それとも私の安全と私の生命がより重要な人間なのか。
『自分の体を焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、一切は無益である。』(コリント第一13:3)
自分の体を焼かれても、ですから殉教ですね、火刑に処されるという、殉教することになったとしても、私の中に愛がなければそれは無意味なのだと、言われたのですが、私は神様を本当に愛している人間なのか、それとも私の安全と私の生命がより重要な人間なのか。そういった信仰の本質を、今非常に政治的に不安な状況において、それと向き合うようにされながら見させられるということを、このごろよく考えさせられています。
神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。
詩編51編を見ると、ダビデがバト・シェバと床を共にしたので預言者ナタンがダビデのもとにきて叱った後に、ダビデ王が悔い改めをするという場面なのですが、悔い改めをする立場であるのにこんな風に言えるの?それが私にとってはすごく不思議でした。私はこんな風に言えるだろうか、悔い改めをする時ってどんな言葉を使っていたっけ?こういった思いがわきながら、そういう気持ちで見たところ、この部分が非常に感動的でした。
言われて再確認すると、私は疑問を感じた記憶はありませんが、次の聖句に私の最重要線(4段階)が引いてありました。
詩篇/ 051篇 004節
わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、あなたの前に悪い事を行いました。
詩篇/ 051篇 010節
神よ、わたしのために清い心をつくり、わたしのうちに新しい、正しい霊を与えてください。
詩篇/ 051篇 017節
神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心を/かろしめられません。
今回黒太字にしたのは、私にとって5段階目の最重要箇所です。
おそらく王妃様は、たとえば青太字に疑問を持たれ、また、感動されたのだと思います。
感動されたのは、王妃様もダビデと同じように「砕けた悔いた心」を自覚されたからだと思います。
まだ私は、そこまで至っていません。
しかし王妃様の最重要箇所(推測)を優先します。