「今お父様が、霊的に復帰しつつ心情を吐露しながら共になさることを望んでおられる」
次の過去記事があります。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
私たちはその時間を後悔しません。
今までの私たちは、見せるための信仰、活動の信仰でぎっしり詰まっていると思います。それを長い間してきたものですから、私たちがそれについて専門家ではないですか?(笑)
ですので、神様と1対1で対話できるですって?神様から愛を受けることができるですって?私がもっと頑張ってこそ、神様が私のことを愛してくださるのではないの?私がもっと何かをしてこそ、神様が私に良くやったと言ってご褒美を下さるのではないの?おまえは義であると言ってくださるのではないの?そのように、ずいぶん長い間してきました。
でもそれが、お父様がいらっしゃる時には必要だったのです。なぜなら、それは再臨の主が私たちにそのようにお話しされたからです。このようにしなさい!とおっしゃったので、私たちはそのようにしました。ですからそれは立派なことでした。そして私たちはその時間を後悔しません。
今お父様が、霊的に復帰しつつ心情を吐露しながら共になさることを望んでおられる
けれども今お父様が、霊的に復帰しつつ心情を吐露しながら共になさることを望んでおられるので、そこにも私たちが反応し、「神様、どうすれば私が神様と対話することができるでしょうか、どうすればお父様により近づくことができるでしょうか、お父様こんなことを語ってくださいましたね、私はこの御言がよくわかりませんでした。お父様がどれほどもどかしかったでしょうか...」 こういったことをお話しするようなことが必要なのだと思います。ですから、お父様との関係回復、お父様がどれほど私のことを愛してくださったのか、また愛してくださっているのか、それについて私が受け取るべきものを受け取れずにいたのだと。
喜んでしないのなら、受け取らない
実は、お父様は喜んで犠牲になりさいとおっしゃっておられたのに。 私たちのように、死ぬことができないから無理やりに足を引きずりながらしなさいとはおっしゃっていなかったのですよね。喜んでしないのなら、受け取らないとおっしゃったのですよ。