國進様と顕進様の違い
で引用した御言葉を再掲します。
本当に本当に國進兄さんは、無条件に何の賞賛もなく一番私たちを応援し、犠牲になっているのだ。そんなお兄さんがどこにいる?(普通は)弟を殺そうとばかりする。分かった?(はい)
これは、兄弟関係についてでした。
今回は、父子関係についてです。
自分の身持ちと証し的な物品(2) : 文鮮明先生말씀選集
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
クッジン(国進)や、ここにいなさい。アボジがあんたに1年半は我慢しなさいと話した。ヨンピョン(竜平)からCC(セントラル シテイ)からその次にヨイド(汝矣島)からセゲイルボ(世界日報)からその次にヨス(麗水)から。ここはあんたが調査しなさいと私が指示しなかった。それは別にしなければならないのだ。天地が区別されることと同様にこれはあんたが接する所ではないのだ。アボジがこれを解散できる天と地の秘密をかけておいて解かなければならない機関なのだ。2013年までこのことを完結しなければ統一教会の存在がばらばらに散らばるのだ。何の言葉かわかるか、あんた?「はい。」わかるか?「はい。」
二つが合わさって、セゲイルボだとか一切手を放しなさい。そこに調査要員たち、それを誰が調査しろと話した?アボジがすることなのであんたが関与するな。峠を越えた次にあんたが来れば金持ちが一つになって出て行くのだが、二つに分かれてはだめなのだ。これもカインとアベルなのだ。カインとアベルが一つになる時だ。
あんたがいつでも自分の意見一方的にしてアボジにこれをしなければならないと、これをしなければならないといって、この前来て比較までしてみろと言ったが、それはだめなのだ。一切ここで手を放しなさい。誰が人事措置をしろというが、あんたが指示できる分野ではない。
組織の問題を見て、御父様に提言する点で、國進様と顕進様は似ていたと思います。
しかし、御父様の「言葉」が「わかる」かどうか、「はい。」と答えるかどうかが、違っていたようです。