群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「1ラウンドで何が間違っていたか、2ラウンドで直さなければいけない。3ラウンドで師範たちが計画したことを実践しなければなりません。」

真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: ’20年11月18日水曜礼拝<最終編>正義の米国大統領戦!神はトランプと私達少数を使い世界を救われる◆神様の愛を見捨てた忌まわしきエルサレム◆ 文亨進二代王
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

今後の天一国創建戦のバイブルとなる重要な説教、私達の米国の戦いがどれ程重要であり、今後どのように戦っていかなければならないか、今後の天一国創建戦活動の基本教書となる重要な説教です。

ということで、あわてて読ませて頂きました。
もしかすると、<最終編>に限らず、全体を指しているのかも知れません。
私自身は、それほどのインパクトを感じませんでした。



日本が米国の州になる

トランプ大統領は米国と、親米国が米国憲法の下に入れるように、その保護を受けることができるように許可をしなければなりません。

米国憲法、それは中国憲法よりも遥かに良いのです。

今中国が韓国を属国にしようとしているのです。日本に対しても同じです。中国の属国になるよりもアメリカ憲法の下に入った方が遥かに良いのです。はるかに一段階近くなるのです、天一国に。


そうしながら香港も入ってきて、台湾も入ってきて、中国はそれをとても嫌うことでしょう。

そしてそのような国々は銃器所有は合法となるのです。

そして米国に行きたければ旅券も必要なく、同じ州、同じ国なので、第51州、第52州、第53州となるので、飛行機のチケットさえあればいいのです。そうなればて天一国憲法に一段階近くなるのです。

これは刺激的ですが、すぐには現実感が乏しく、インパクトが弱まりました。


下記は、インパクトは弱いものの、味わいがあると思います。



何の効果も無いように感じますが、それは人間的な見方です。

人間的な目で見れば、朝出て(とても疲れたように)「フォーモアイア(4more years)」、お昼に 「フォーモアイア」夕方「フォーモアイア」このようにすることが何の効果も無いように感じますが、それは人間的な見方です。


神様がどのように小さなからし種、お昼に出てきた小さなからし種をどのように使われるか皆さんに見えません。

夕方にある人が通り過ぎていて、その からし種がその人に行ったということなのです。どのような奇跡が起きるか皆さんには分かりません。

朝、ある人がマクドナルドに向かっていた、その前にムーニーおかしな似非ムーニーたちを見ながら「あ」と心に刻まれ、どのような奇跡が起きるかわかりません。

いつ、どのように、わかりません。

それだから聖書の御言に、信仰で歩むのであって目で歩くのではない。

コリント二5章7節

7 わたしたちは、見えるものによらないで、信仰によって歩いているのである。 8 それで、わたしたちは心強い


そのように聖書に出てきますね。目によらないで信仰によって歩いているのである。

私たちには見えない時、いつ、またどのように奇跡が起きるのかわかりません。

多くの聖殿の内容が試練を受けた時、その聖殿の責任者がたちが現れるだけでも 何かが始まっていくのです、怠けなかったので。

特に「怠けなかったので」が心に沁みます。



自動的に皆さんも3回したくなります。

お互いに勝利することを願わなければなりません。

なぜ?私たちは私たちのためにこれをやっているのではないから。

私たちは摂理が進むように、神様のアベル圏が勝てるように、もっと大きな目的があるから。


その目的をいつも見ていかなければなりません。

「その方も本当に素晴らしい。彼に感謝しないといけない。嫉妬してはいけない。その人たちはとても大変なことをしている。三回もそんなことを。感謝だ。」そうすれば自動的に皆さんがそのような気持ちでいると、自動的に皆さんも3回したくなります。

嫉妬せずに、敵を作らずに、神様の目的を見つめて。


しかし、年配の方は無理してはいけません、精誠を尽くす時も、無理をしないことも技術です。

これはできる人がやって、年配の方と出ることが大変な方は休まないといけません。回復しなければなりません。回復。回復も責任です。

「年配者」としてのジレンマがあります。



いつ終わるか考えず、ただ、今日に対する神様の奇跡を思いながら感謝する。

私たちはお互いに健康を守り、祈祷を熱心にし、精誠を熱心にし、毎日感謝することを探し、いつ終わるか考えず、ただ、今日に対する神様の奇跡を思いながら感謝する。思考が違う。

そういう人たちは自分のエネルギーを守ります。昨日は無理したから今日は私は3回でなく、1回だけ出る。チーム長に、「すいませんが今日私は休みます。」と言って1日休めば、力がまた出ます。そして次の日からは更に熱心にすることが出来ます。


しかし、昨日も先週もずっと無理していれば、だんだんと弱くなります。だんだん下がって行きます。40日がやっとの思いで這いつくばって終わった時には、闘いは終わっていません。自分は死んでしまったのに。そのあとが始まりです。何の事か分かるでしょう?


霊的闘いも同じ事です。いつ終わるだろうか、という考えではサタンが来て戦う時、終わらないかの様に感じます。ずっと終わらないかの様な、ずっと何も実践できない様な思いになります。

しかし、今日このラウンドで、私が学んだこと、良くできたことは何か、神様が下さったことは何だったのか、それを発見してこそ発展する。


格闘技の選手たちは3ラウンド、5ラウンドで5分間狂ったように戦いながら何も学ばなければ負ける様になっています。1ラウンドで何が間違っていたか、2ラウンドで直さなければいけない。3ラウンドで師範たちが計画したことを実践しなければなりません。徐々に学ばなければいけない。


ファンクラブさんが、どのようにインパクトを受けたのかも、興味があります。

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