「恩賜」に対する「責任」
で引用した御言葉を再掲します。
聖幕の伝統として、我々は祈祷室で、神様はどのような祈祷に応えられたのかすべて記録しなければなりません。記録すれば、1年間にどれだけ多くの祈祷に応えてくださったのかが分かるようになります。
そして、去年祈祷した時に、来年祈祷している時に、「ああ、こんなにいい神様だ。こんなに信じられる神様だ。このように多くの祈祷に応えてくださった。私は忘れていた。私は疑った私は悔い改めないといけない。」このようにもう一度、自分をチェックすることが出来る。鏡を見ることが出来るのです。それが、聖幕の秘密です。
私の場合、最大のものは次です。
他に、常に感じているのは、下記です。
から引用します。
小山田や徳野の下では、「特権階級」と「高額献金者」しか行かせてもらえない「名節」に、「王と王妃たち」は自由に行くことができます。
私達は、少なくともそのような「自分の位置を守らなければならない」と思います。
しかし、その「自由」に対する「責任」を考えさせられる御言葉は下記です。
アダム国の代身者になって賢明に生きなさい (4、完) : 文鮮明先生말씀選集
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
皆さん雑種犬のようなありとあらゆる様々なごたごたした奴が来て集まっているが、この修練所が誰でも来ることができる所ではない。首相と副首相、国会議長が来て国の責任を取りうる議論をし結論付けることのできる場であることを知らなければならない。平和の黄土(王土?)をぬぐうことができる、世界的な勝利の国を天地に完全に捧げうるそのような者たちが来て教育を受ける場だ。そのぐらいだとすればわかるか、わからないか?「わかります。」
写真を写せば写真を写した者は教会に記念であり、国の記念になるのだ。そのようにもてなしたので記念できる家庭と国ではその数十倍歓迎しなければならないという論理が正当な論理だ。正義善意の実績を論議できる妥当な結論なのだ!アーメン!「アーメン!」(拍手)
下記のような「努力」をする「責任」を感じます。
先生が話したことを聞いてそれの骨子を取って、私がよくするためには勉強もしなければならないし、世の中の誰よりも努力しなければならない。私は誰よりも努力を多くした。したのか、しなかったのか?「されました。」
追求するのは「祝福伝道」「氏族メシヤ」です。
このような基盤をすべてぬぐったために成果を得ることは問題がない。今も2時間講義して祝福してあげる?「はい。」祝福してあげる日には訓読会を通して40日期間を中心にして40年抱くことのように息子娘を教育して蕩減棒と三日式を経なければならない。そうでなければ入籍できない。
お土産としてこのみ言葉を伝えてあげるので忘れず守ってあげればイギリスであればイギリスを救ってあげることができ、皆さんの一族を救ってあげた名前が歴史に燦爛と輝くだろう。アーメン!「アーメン!」
フィリピンで、「娘」の一族を救うのが、今後の計画です。
****
おすすめ:
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
「キリスト教」のブログは、こちら
任命式の映像はこちら