群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「格闘技≒伝道≒選挙」の御言葉 文亨進天一国二代王説教選集①王国の福音から 

発行 株式会社 リブフォー
定価 800円 + 税
お申込み:080-5436-5605 松田



「格闘技」に関する御言葉ですが、「伝道」や「選挙」にも参考になると思います。
私は「伝道」を語る資格は無いと思いますので、主に「選挙」を語ります。



「21.Kingdom proximity(近接する王国)2016/9/11」

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)



本当に効果的な攻撃を追求
寝技こそが鍵

ブルースリーの哲学も学んだのです。それは本当に効果的な攻撃を追求するというものでした。効果のないものは捨てて真に効果的なもののみを身に付ける。

彼の名はホイス・グレイシーといって、今も柔術を教えています。私も彼の兄弟と練習したことがあります。


彼によって格闘技の世界は大きく変わりました。格闘技は現実を突き付けられました。寝技(グランド・ファイティング)の効果を知らなかったのです。93%が寝技で勝負がつきます。だから一緒にトレーニングしている若者にも聞いてほしいのですが、好むと好まざるとにかかわらず「寝技こそが鍵」だというのです。立ち技の世界チャンピオンになったところで寝技に持ち込まれたら殺されるのです。

社会において、「寝技」と言えば「裏工作」という意味ですが、やはり強力です。
私はサイバー・サンクチュアリで、「殺される」経験をしました。


「選挙」では、次の過去記事に書いた「地上戦」と呼ばれるものに近いと思います。



泥をかぶる

また「負けたらどうしよう」「恥をかきたくない」などという思いを克服しなければならないのです。なぜならそれはあからさまになるからです。


私が先生のジョジョと対戦するとき、私が降参したり、先生が降参するときもありましたね。隠し立てできないのです。誰かがビデオ撮りしているでしょう。またそれをインターネットにアップされることもあります。それを超えていかなければなりません。

むしろ、嘲りと軽蔑、そして憎しみと十字架、迫害が避けられないというのです。

次の過去記事のような「開き直り」が必要です。

そうでなければ、やはり下記が必要です。



信仰

神様の愛なしにそれらにどう耐えるというのでしょうか。谷底において徹底的に打ちのめされ、子供にでも倒されそうな気がするとき、自分の力で立ち直ろうとしても限界があります。神様の言葉に立ち戻らなければなりません。神様はこうおっしゃっています。


「たとえ、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はあなたともにいる」


「私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています」        (詩編23編)

いいですか。何があろうと神の栄光のためです。このプレッシャーを通して神の栄光のために強くなるというのです。これで真の力を得ることができるのです。世間のごたごたはあなたを悩ますことはもはやありません。サタンからのストレスに悩まされることはないというのです。そしてやるべきことに集中するのです。


そして結果が良くても悪くても、神に栄光を返すことに変わりがないのです。勝利を得るのです。このことがどれほど重要かわかりますか。

フランシスコは顔をあげることができず「お父様、申し訳ありません」をくりかえしていました。「お父様をがっかりさせてしまいました」。それを聞いたお父様は


「いや、おまえは負けていない」


とおっしゃったのです。お父様は試合に出たフランシスコの勇気を認めておられたのです。フランシスコは試合に勝ってどうこうしたいという思いでなく、ただお父様の誇りとなりたいと思っていたからです。これは生きた模範です。

私の「選挙」で、江利川会長に慰められたことを思い出します。



使命感

神様の道徳は「神を愛し隣人を愛せよ」です。人類を愛さなければなりません。(インドの)テバダシの少女も不可触民ではなく悪なるサタンの業から救い出さなければならない神の子であるということです。

では児童売買が合法化されたらどうするのでしょうか。これが悪であると主張する道徳的背景を失います。むしろこのような行いを禁止するキリスト教のほうが「悪の勢力」とされかねません。

「これが悪だ」と言い切るための思想的背景を何も持っていないのです。

人間同士の闘いであるばかりでなく、地上の闇を支配する勢力との闘いです。そういう心構えで臨まなければなりません。そうすることで力を得るのです。


もちろんこれで恐怖が簡単に無くなるわけではありません。恐怖と戦い、怪我をして傷つきながら前進しなければなりません。目的が正しいものであれば力を得ることができます。

何ものも自分を引きずり下ろすことはできません。重荷から解放されるでしょう。

「性教育」「子宮頸がんワクチン」等、日本の少年少女も危険に囲まれています。
「善悪」を分別できる「政治」が望まれます。
しかし「選挙」で勝てなければ、各々の「家庭」単位で戦わなければなりません。



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