群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「新しい真理」を考える聖句

家庭連合は、「女神信仰」の「異端」に転落しました。
サンクチュアリ教会は、「家庭連合より優れている」クリスチャンを復帰するために、「聖句」を重視しています。)


関連する過去記事は次です。

この時は、「真理の御霊」と「再臨主」とは別だ、という「発見」を書いただけで、説明不足だったと思います。
今回の記事と関連して説明すれば、イエス様が語りつくせなかった真理、すなわち「新しい真理」は、「真理の御霊」すなわち「聖霊」によって語り継がれ、最終的には「再臨主」の御言葉になる、ということだと思います。
これも、クリスチャンに理解してもらう必要があります。



コリント人への第一の手紙/ 13章 9~12節

なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。


全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。


わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。 


わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかしその時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。 



コリント人への第二の手紙/ 03章 14~16節

実際、彼らの思いは鈍くなっていた。今日に至るまで、彼らが古い契約を朗読する場合、その同じおおいが取り去られないままで残っている。それは、キリストにあってはじめて取り除かれるのである。


今日に至るもなお、モーセの書が朗読されるたびに、おおいが彼らの心にかかっている。


しかし主に向く時には、そのおおいは取り除かれる。

これは、イエス様当時の話ですが、再臨主の時にも、注意すべきことです。



ピリピ人への手紙/ 03章 12~15節

わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。


兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、


目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。


だから、わたしたちの中で全き人たちは、そのように考えるべきである。しかし、あなたがたが違った考えを持っているなら、神はそのことも示して下さるであろう。

このような姿勢が、望ましいものです。



****


おすすめ:



(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
         電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )


「キリスト教」のブログは、こちら

任命式の映像はこちら

×

非ログインユーザーとして返信する