群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「どこに行っても、遠く行ってもそれが破音にならない。そこに入って寝たいし、そこに入って遊びたいのだ。」

知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める(5)〔2022年10月16日 英語礼拝〕 | kijoksoriのブログ

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


知識だけを持っていたら、それは私たちを傲慢にさせてしまいます。

そう、もし私たちが神学的なことや哲学的なこと、高尚なことについての知識だけを持っていたら、知識だけを持っていたら、それは私たちを傲慢にさせてしまいます。そうですね、クラウス・シュワブを見てください。グローバリストを見てください。現代の「無神論科学者」と呼ばれる人たちでさえも、知識で自分を誇り、傲慢になっています。科学を通して真理を追求し、客観性を求めているので、何でも知っていると思い込んでいるのです。

次の過去記事があります。

「知能が高いといって、神様がご覧になるとき価値のある人間ではありません。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)


ですから、「御父様の種」という一言が必要です。


侍る生活と女性の役割(4) : 文鮮明先生말씀選集

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


私が笑う次に笑わなければ。どこに侍って行ったとすれば先に笑えばそのような失礼がどこにある?

そうして本を取り出しててっぺんに‘新孔子’と書いたのだ。何故笑う?気分が悪くて笑う、気分が良くて笑う?「気分が良くて笑います。」あんただけよいのか?私がもっとよいのだが、私が笑う次に笑わなければ。どこに侍って行ったとすれば先に笑えばそのような失礼がどこにある?口を開けて‘あは!’とこうしていて、私は笑う話もしなかったのに。

私は早く笑う傾向があるので、自分への戒めです。


そのまま合わない。

自分たちの理想相対がすべて合うのではない。一番初めに合えばだめだ。下上がどのように合う?下弦・上弦がどのように合う?ひっくり返れば合う。そうじゃないか?ひっくり返れば合う、そのまま合わない。


 そのために始めに好むようになれば後では嫌な時が来る。山が高かったとすればいつも深い谷間が生じる。その次に上がって行けてもっと高ければもっと深い谷間、もっと高ければもっと深い所が生じる。

次の過去記事があります。

「『ごめんなさい』と言えば許すことができる。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)


男女二人が合わさってこのように和合しなければならない。

男女二人が合わさってこのように和合しなければならない。これが共鳴になればなるのだ。これがだめであればこうだ。これがぴたりと入って合えばテンとどこに行っても、遠く行ってもそれが破音にならない。そこに入って寝たいし、そこに入って遊びたいのだ。

やはり「御父様の種」です。

「彼らは神様化する」

天宙平和王国と平和の国の民の教育(6) : 文鮮明先生말씀選集


天宙平和王国と平和の国の民の教育(8、完) : 文鮮明先生말씀選集

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


男の中に女がいる 女の中で男が見える

 『・・・・・・男が地上で面白く生きたとすれば、霊界に行ってサッと見るようになれば男の中に女がいるのです。‘あの女誰か?’と言えば‘わが妻だ。’と言うのだ。女の中で男が見えるというのです。』

聖和式のスピーチで、「霊界の実相」を少し語りますが、これは語りません。


彼らは神様化する

 『・・・・・・真の愛をする夫婦は、神様が本性相と本形状でおられることと同様に、霊界に行くようになれば神様の本然的基準に入るようになるというのです。本然的であり絶対的な神様も真の愛には絶対服従されるために、彼ら夫婦も本然的な基準に行くようになって、その点は一つの点なので彼らは神様化するのです。神様に戻るのです。アルファとオメガです。それを何が可能にするのかと言えば真の愛です。世の中に生まれた息子娘は・・・』

これも語りません。


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上記のコメントは、最初に書いたクール(淡白?)なものでした。
御言葉を知らないご親戚に、分かりづらいと思ったからです。


しかし、発表までに時間が経って、読み直して、考え直しました。
次回の聖和式では、語らせて頂きたいと思います。


御言葉(真理)の力を信じます。


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昨日の記事に関連していると思います。
「夫を愛することができる女は信仰が必要でない。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)


そして、くどいですが、「御父様の実」を思い出します。

「夫を愛することができる女は信仰が必要でない。」

侍る生活と女性の役割(2) : 文鮮明先生말씀選集


侍る生活と女性の役割(1) : 文鮮明先生말씀選集

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


夫を愛することができる女は信仰が必要でない。

 祝福を受けたとすれば、夫が必要か?夫が必要か?「はい。」どれほど必要か?夫が必要だと言う言葉は夫を愛する心を中心に必要だという尺度が生じるのだ。愛を持って積み重ねるのだ。

 それが問題なのだ。どれほど必要か?絶対的に必要であれば絶対的な愛を中心に私が対象的な立場で必要と言うのだ。神様がそのような立場にいる。神様のすべてのものは絶対的だ。内外が絶対、初めと終わり、過程も離せず少し切ってもいつも絶対的なので絶対的なその愛を中心に、絶対的な愛が長ければ長く、短いとすれば短く、丸であれば丸い核になっている。それは思い通り皆さん自体で神様を代身できる愛の適者が皆さんがあの国に行って生きることができる無限大の環境的天国になるのだ。そうすれば環境に出て釣り合うのだ。

 夫を愛することができる女は信仰が必要でない。その人その通り行けば天の宝座と連結されるのだ。


正午定着、苦く甘いものが和合されたために何だと言うか、そのまま良いだけである

 そう、一番味をよく知る人は甘い味を知る人が理想的か、苦い味を先に知る人が理想的か?「苦い味です。」言葉はよくする!(笑い)そのように生きてみなさい。どこに行こうと苦い味を消化できるようになればブンと浮かぶ。次元が異なる。


 そこで一回り回れば苦い味を甘いと言う。ブンと浮かぶために自動的に零点を通して一回り回った次に甘い味が始まり、また中心だけ超えるようになればあちらが夜になるのだ。こちらは昼になる。夜になれば苦いものを感じるのだ。そう、昼夜が交差して影のない正午定着と言う言葉が出てくる。

ここで正午定着、苦く甘いものが和合されたために何だと言うか、そのまま良いだけであると言うのだ。

で引用した、二代王様の御言葉を再掲します。

人生は困難と障害物とぶつかって経験する。しかし神様を知る者は何故力がある?神様は困難な事をされる神様だ。易しい道を選択される神様ではない。困難な道を選択される神様だ。

アガペー。犠牲的な慈善の道を選択される神様。

人間たちが失敗しても、神様は困難な道を選択される。それを復帰する為に。

むしろその困難な内容を通して、血を流しながら、その苦労と苦痛の中で私たちは勝利を得る。