群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

⑭「忍耐必勝」から 「ここは母が必要ありません。」

「忍耐必勝」から、御父様の御言葉を引用します。
(翻訳・出版に感謝申し上げます。)


464頁:ここは母が必要ありません。

それゆえ、神様を中心として真の父が現れ、真の父を中心として真の母が現れ、そこから生まれた息子、娘たちはサタンが手を出せないことを知らなければなりません。ですから、直接的で完全な愛の種を家庭的に受けて、父と息子が直系として連結されるのです。ここは母が必要ありません。蕩減というものがなくなったのです。「母子協助時代」 が完全になくなり、神様と真の父と真の息子の血統が連結され得る解放権の最頂上の場に立ったのです。


465頁:女性として自分を中心に考えては いけないのです。

八段階の愛の過程を経なければ父母様に侍ることができず、神様の直系子女の立場に立つことができません。 恐ろしい話です。 先生がつくって話していることではありません。生きている先生、父母様に侍る直系の立場で自分を中心に考え、また女性として自分を中心に考えてはいけないのです。命の根本の種になり得る根を中心として回らなければならないのであって、 自分が根の場にいようと自分を主張すれば、大変なことになります。それは、今まで女性が蕩減したありとあらゆるものを再び堕落させるのと同じです。


466頁:お母様も同じです。

お母様も同じです。見ていると、お母様は今もそうです。少しでも気分が悪ければ、その気分を一日二日、三日と引きづっていきます。それではいけないというのです。 父母様が、先生が気分悪く接しても、自分がそれで気分を悪くすれば、それ自体だけでも霊界に入っていくことができません。 父母様に侍る場では、解怨の痕跡がその形さえもあってはならないことを、 皆さんは知らなければなりません。


467頁:母親がいなくならなければならないというのです。

一次、二次大戦を終えて三次の時代に越えてすべてを補い、ついに整備されたカイン・アペ ル圏、神を中心として霊的な基準を連結させ、実体的基準を中心として再臨主と一つになり、「母子協助時代」から「父子協助時代」に転換するのです。そのようにしようとすれば、母親がいなくならなければならないというのです。ですから、蕩減時代の母親ではなく、直接的時代の父親が母親を通して生んだ息子が相続を受ける時代が来るのです。


467頁:命の種は男性にあるのであって、女性にはありません。

命の種は男性にあるのであって、女性にはありません。 女性が愛する夫の子にお乳を飲ませ育て、その子を愛する限り、 夫を無視できないことを知らなければなりません。これはお母様でも誰でも同じです。 これが総結論です。


467頁:夫に対して絶対服従しなければなりません。

「母子協助時代」と「父子協助時代」は違います。 「父子協助時代」に、命の種を抱いて育てようとする女性たちは、夫に対して絶対服従しなければなりません。今まで女性たちは、本然の夫を訪ねてくるのに数千、数万年犠牲になってきましたが、その受難の歴史を越えて本然の夫を迎えることができる場に立てば、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道理を果たさなければならないのです。


470頁:母が中心ではないというのです。

母が子女をかかえるときまでは「母子協助時代」です。子女と一つにならなければなりませ ん。 一つになって国家時代を越え、父を中心として連結されるときは、母が中心ではないというのです。血統が連結されてアダムから相続を受けるのですが、自分が地上世界を踏み越えて永遠の父の世界、父子時代に越えていくのです。 父子時代はここから始まります。


473頁:母がいなくてもみ旨を成し遂げることができるときになるのです。

それゆえ、「父子協助時代」に入っていきます。 母がいなくてもみ旨を成し遂げることができるときになるのです。エバが堕落しても、いくらでも創造できたということです。アダムが堕落したので命の種がなくなったのです。ですから、「父子協助時代」が来たので母子ではあ りません。 父が現れたので、「父子協助時代」には、父がサタンに勝利した基盤に立ち、真の愛と真の生命の種を持っています。 母は地上のどこにでもいるのです。


474頁:いくらでも欠如した母の基盤を受け継いでいくことができるというのです。

「父子協助時代」には、母のために滅びた世界が、いくら母が過ちを犯しても、その国が滅びることはなく、父と息子さえ一つになれば、母と父を補充して、いくらでも欠如した母の基盤を受け継いでいくことができるというのです。


474頁:母親は席を外さなければいけません。

東洋の法には、父親と息子が国家の国事を論じ、天地の機密を論議するようになるときは、 母親は席を外さなければいけません。東洋の思想がそうです。そのようなとき、なぜ母親は抗議しないのでしょうか? 母親は畑であり、父親は種です。種に連結されたものは、母親ではなく父親だというのです。ですから、父親と息子が種同士で会って議論しようというのに、畑が口を挟んでいいでしょうか? 天地の道理がそうなので、東洋思想から見るとき、「席を外しなさい」と言うのが「元亨利貞(物事の根本道理)」です。 文総裁が現れたので、これをすべて白黒つけてあげるのです。



「私は、神様の前に祈祷して、願うことができることが何か?」

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