群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「言葉(聖句)は簡単じゃない。それは私たちを形作る。陶器師のように私たちを型にはめる。」

父としての愛(1)〔2023年7月23日 英語礼拝〕 | kijoksoriのブログ

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


この命令は私たちの本性に反するものなのです。

神が夫に妻を愛するように命じている。

神は妻に夫を尊敬するように命じておられるのです。

この命令は私たちの本性に反するものなのです。私たちは楽な道を行きたいのです。私たちは、罪とベッドインしたいのだ。その人が愛すべき人だと感じないとき、誰かを愛することは難しい。その人が尊敬に値すると感じないとき、その人を尊敬することは難しい。しかし、神はその方程式を示しておられる。それがお互いを変える方法なのです。


言葉(聖句)は簡単じゃない。それは私たちを形作る。陶器師のように私たちを型にはめる。

だから、言葉(聖句)は簡単じゃない。それは私たちを形作る。陶器師のように私たちを型にはめる。つまり、私たちは焼き尽くされる。叩かれる。粉々にされる。私たちは、それが望む形に形作られる。


しかし、それには痛みが必要だ。辛いことをする人には、誰でも痛みが伴う。痛みは悪いことではない。良いこと、大きなことを成し遂げるためには痛みが必要なのです。私の痛みはプロセス(過程)の一部だ。痛みはプロセスの必要な部分であり、より強い世界を作る。だから、試練はとても重要です。アーメン。


真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: 第56回真の神の日慶祝行事◆ 文信俊三代王 ◆証言 2023年1月22日

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


神様が泥をこねて造るように、私をお造りになり
どんな形であれ、神様が望まれる器になることを祈ります。

私は不足であり、私は壊れており、私はふさわしくありません。

私は神様がこの足らない者を神様の完全な御旨のために使われることを祈ります。

ふさわしい人を呼ばれるのではなく、主の召命によって資格があるようになります。

神様が泥をこねて造るように、私をお造りになり

どんな形であれ、神様が望まれる器になることを祈ります。



「私は、神様の前に祈祷して、願うことができることが何か?」

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