「お父様が聖和される前に、私は一度、激しく食ってかかった。それが最後だ。」(抜粋「お父様への反逆を自ら証言した韓鶴子」)
から引用します。(執筆・掲載に感謝申し上げます。)
(4)鶴子のとんでもない発言
■鶴子はこの特別朝餐会の席で以下のように語り、とんでもないことを暴露しました。
□韓鶴子:内戦と動乱が起きた時、16ヵ国参戦がどうして可能だったか。独生女のためだ。成長期間なので保護するためだった。南北、民主共産が対立している状態で南侵すると共産化されるが、そうなると天の摂理完成のための独生女が死んでしまう。お父様は16歳でイエス様から召命を受けた。独生子ではない。再臨メシヤは独生女に会うまでだ。私は自ら成長した。私の父母は天の父、天の母だ。天の父母様が天の摂理の完成を見るために独生女を誕生させたのだ。そして相手がいなければならないではないか。
40歳になるまで、お父様を経てきた内容を私は知っていた。違っていた。しかし天の事情が急なので私がやると言った。戦うことができなかったので耐えて待ってきた。本当にどれだけすさまじく難しい事情を私が乗り越えることができたのかは、天の父母様の愛があったからこそだ。天の父母様は泣かれた(涙ぐむ)。天の父母様の夢を叶えるためには、私は耐えて待つしかなかった。私がどうして…。お父様が聖和される前に、私は一度、激しく食ってかかった。それが最後だ。しかし、どのように基元節を開いたか。その時のことを考えてみろ。天一国を宣布する場なのに私しかいなかった。それでも天一国歌とかこのようなのを全部揃えて宣布したではないか。(2023.5.9)
(5)戦うことができずに耐えた
■鶴子は、「戦うことができなかったので耐えて待ってきた」と語りました。これはどのような意味でしょうか。それは、「私は自分がメシヤであり、お父様はメシヤではないことを知っていたが、天の事情が急なので、私は40歳のお父様と聖婚し、ボタンの掛け違いから出発するしかなかった。それを正すにはお父様との力の差が大きく、戦ってひっくり返すことができないので、じっと耐えて待ってきた」ということです。
(6)食ってかかって最後を迎えた
■次に、「お父様が聖和される前に、私は一度、激しく食ってかかった。それが最後だ」と語りました。「それが最後だ」とはどのような意味でしょうか。それは、「鶴子がお父様に食ってかかったことをわびるとか、悔い改めるとかして関係を修復することなく、そのままの状態で、お父様が入院され、聖和され、最後を迎えた」という意味です。
(中略)
■鶴子がお父様に激しく食ってかかったのは、お父様と自分の位置をひっくり返すために戦いを挑んだということです。結局、鶴子は戦いました。「それが最後だ」には、「私が食ってかかったところ、お父様は死に、最後は私が勝った」という意味もあります。そして、お父様の聖和後、出発の時に掛け違えたボタンを掛け直し、本来のメシヤとして正しい位置につくことができた。そのような勝利した自分だからこそ、ひとりで基元節を開き、天一国国歌とか揃えて、天一国を宣布することができたのだと自慢しています。