「救われた人はずっと救われているという、もう一つの伝統的なキリスト教の教義に逆らっているのです。」
人の選択(4)〔2023年7月9日 英語礼拝〕 | kijoksoriのブログ
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
つまり、ユダにはこのような驚くべき祝福、油注ぎ、約束があったのです。皆さん、何の話か分かりますか?
しかし、自由意志によって、ユダはそれに向かって歩いたのか、それともそれから離れたのか?彼はそれから離れた。彼はそれから離れて歩き、キリストから離れたのです。それで、彼が救いを失ったと言った。当時は救われていたと言っただけです。彼が救われたと言っただけだ。彼は自分の意志でキリストから離れていった。そして今、彼はもう見ていない。彼は消し去られた。だから今、あなたは、救われた人はずっと救われているという、もう一つの伝統的なキリスト教の教義に逆らっているのです。
モルモン書から引用します。
主は、御自分に背いて罪の中で死ぬ者、すなわち、世界が始まって以来、故意に神に背き、神の戒めを知っていながらそれらを守ろうとせず、 罪の中に滅びてしまったすべての者については、決して贖いをなさらないからである。
ヘブル人への手紙/ 06章 04~06節を引用します。
いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、
また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、
そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。