「私を掘りだしてなくなる」「後で、なくなったのが生き残ることができる」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
私を掘りだしてなくなる 後で、なくなったのが生き残ることができる
韓国人が一番嫌うのは‘アムケナ(아무케나:何でも)’と言う。(笑い)私がそれを嫌うために名前をナケムア(나케무아)!言ってみなさい。「ナケムア!」ナケムアが何か、反対にすれば?「アムケナ!」私の名前(呼び方)を付けておいたのだ。ナケムア!そのような言葉アムケナ、私はそれが嫌いだ。反対なので、会えばアムケナと言う前にナケムアを言っておいてアムケナ・・・。そのような生活に訓練されて行きながら悪口を嫌になるほど浴びせられる。ナケムアが何か?私を掘りだしてなくなるその言葉になり、平安道の言葉で言えば後で、ナケ(後で)ムア、なくなったのが生き残ることができると言う言葉にもなるのだ。そう、韓国語は啓示的です。
「ナケムア」については、三度目です。
「面白さがなければ仕事がだめだ。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した御言葉を再掲します。
盗人になるな
新しい言葉を私が多く作っておいた。
ナケムア(나케무아)、言って見なさい。反対にすれば何か?「アムケナ(아무케나)。」ナケムア!後でケソ(캐소)。私が食べるな。それは盗人になるのだ。アムケナ!何でもしては自分の考えが先立ち、まだ終わりにならなかったのだアムケナ!盗人の心棒だというその言葉だ。ナケラ(나케라)というのは平安道の言葉で後だという言葉だ。無我、私を否定するのだ。だから盗人になるな。反対語でくっつけて使うのだ。ナケムアがアムケナよりもやさしい?
むやみにするな
ナケムア、してみなさい。「ナケムア(나케무아)!」 反対にすれば何か? 「アムケナ(아무케나)!」 うん? 「どうでもよい(아무렇게나)!」 あれこれするなというのだ。これは生活哲学だ。必ず重要な問題は生死之権を分けて私の後ろに数千、数万のついてくる人たちが痛手を受けることを心配してどうでもないことを考えるな、私がこのような言葉も反対に、私は反対にすると言ってナケムアと言う言葉を日日生活でもいつでも記憶するのだ。むやみにするなと言うのだ。わが家内もそのナケムアをすればよいのだが、それを忘れてしまう時が多いのだ。そうではだめだ。