「自分が蕩減できない。」~「相対への投資」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
自分が蕩減できない。
そのために絶対価値の基準が自分によってなされるものがないというのだ。絶対価値の完成というのは相対が自分をより為にできる愛の道でのみなされるのであって、そうでなければ絶対価値の完成がないのだ。皆さんが原理主管圏内で蕩減するのは何かと言えば、自分が蕩減できない。
そこで蕩減復帰!わかるか?蕩減というのはより為にする場において、妻として夫をより為にする場に立てば男の愛の主人を、女を愛することができる主人を自分が作ってその主人と一つになって永遠に生きることが永遠な幸福だ。分かれることができないのだ。蕩減復帰だ。蕩減復帰しなければだめだ。
むやみに「血を流すこと」でなく、「相対への投資」の価値を考えました。
心臓に打撃を与えないために、本部に打撃を与えないために右手を使うのだ。
そのために右手を使うのは心臓と右手が遠い。左手は心臓に打撃を与えるのだ。西洋人はそれを知らない。そのために東洋思想は右手の思想であれば西洋思想は左手の思想だ。自分第一主義だ。個人主義がそこで発達したのだ。心臓がどうであれ自分がよければよいというのだ。しかし東洋思想はそうでない。心臓に打撃を与えないために、本部に打撃を与えないために右手を使うのだ。そのような意味で全ての宗教は東洋から出たのだ。