「船が一つも来ないためにアメリカに行けなかった。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
初めて知る、ドラマティックなエピソードです。
勉強させれば病になる。必ず死ななければ病身になる。
漢学の勉強をするが15歳になる時、五山普通学校3学年に入学した。従祖父が建てた学校に私が行くというのだ。その前には(学校に)何故送ってくれなかったのか?ハラボジが賢明な孫がおれば支えて勉強させて五山高普で誰よりも勉強させなければならないが、何故勉強をさせなかったのかというのだ。実におかしい。勉強させれば病になる。必ず死ななければ病身になる。
アメリカに送って博士コースができるように大学院に入学させるという約束になった
そのハラボジが、従祖父が‘ややや、あんたがこの家庭の宗子であるが宗子が学校に通って病んで事故が生じる。’行くなと言って五山高普で勉強すること、1学年から4学年までのもの箪笥で二つを買い与えた。3年以内に覚えて、私が試験を受けるようになる時、尋ねるようになる時答えればあんたは間違いなくアメリカに送って博士コースができるように大学院に入学させるという約束になったのだ。
船が一つも来ないためにアメリカに行けなかった。
アメリカに行くためには仁川に来たのだ。連絡船、連絡船でない。貨物船たちが荷物を載せて入って来なければならないが、アメリカに行く船に乗るために仁川を出て6か月待っても船が一つも来ないためにアメリカに行けなかった。
困難な人に分け与えたのだ。
その時コーン8百俵を売って学費にするものをくれたが6か月間ですべて使ったというのだ。(笑われる)そうだ。心が良いので友人たちとみなして困難な人に分け与えたのだ。6か月間に数年の学費を準備したのをすべて使うようになるのでお金がないというと従祖父が捕まえに来たのだ。
波乱万丈です。
そして、御父様の学歴は、「早稲田大学」になりました。😊