「‘すみません。’‘何であれしたい通りしてください。’‘あんた先立て。’‘お捧げします。’」
天宙平和王国と平和の国の民の教育(7) : 文鮮明先生말씀選集
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
‘すみません。’
‘すみません。’と言ってみなさい。その心が平和で温和たりうるのだ。
温柔になればその人が高い所に上がって落ちない。かえって私につかまって上がらなければならないのだ。そうでないのか?温柔と言うのはどこであれ和合できるどこであれ・・・。
‘何であれしたい通りしてください。’
謙遜と言うようになる時は‘何であれしたい通りしてください。’だ。
‘したい通りしなさい。’服従だ。そうすれば一番合う言葉だ。温柔謙遜の次に何か?服従!従順を越える。従順の上には何かと言えば服従だ。
‘あんた先立て。’
温柔謙遜はすべて誰であれ思い通り接することができ、私が願うようになれば反対をせず‘そうだろう。’と言う従順だ。自分の意図がありながらも意図に逆らって零の場で‘そうなのだ。’死んで生きる所において‘あんた先立て。’それでは‘そうだろう’とするのだ。そのように服従する所は主体の前に生死権をかけてする言葉だ。服従!自分がなくなる場でする言葉だ。
‘お捧げします。’
服従の次には何かと言えば祭物(供え物)だ。‘お捧げします。’