群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

今や、この世の人達が、「韓鶴子の背信」を知るようになったのに、家庭連合の食口は何をしているのでしょうか?

文藝春秋10月号124頁から引用します。


「母はいない。文総裁の妻の位置もありません。自分勝手だ。自分勝手!」

文鮮明の否定真逆の教義


二〇一二年七月、一万人の信者を前にした講演の最中、文教祖は原稿にない話を始めた。

「母はいない。文総裁の妻の位置もありません。自分勝手だ。自分勝手!」

その言葉は、長年連れ添った鶴子夫人に向けて発せられていた。

カネと権力を一手に握った「真のお母様」は、「再臨のメシア」のはずの文教祖まで否定する。自らを、 六千年ぶりに原罪なしに生まれた 「独生女」であると宣言。自分が結婚したことで夫の原罪は清算され、真の父母になったという教えを説く。 従来の教義とは真逆だ。

今や、この世の人達が、「韓鶴子の背信」を知るようになったのに、家庭連合の食口は何をしているのでしょうか?


109~110頁から引用します。


その物語を信じている限り、統一教会に敗北はない

仲正    当時の私は自分に自信がなくて、社会から孤立した存在だという劣等感や不安感を持っていました。そういう人間にとって、統一教会の教義は魅力的に映るんです。 「君がやっているのは、真の父母様の摂理に参加することだ」という具合に、つまらない一個人の話でも必ず大きな展開に結び付けていく。


島田 そこまで教義と信者を物語としてつなぎ合わせる宗教って、ほかにないですよ。

宮崎 さきほどご指摘の、教義と信者を繋げる物語化と同様ですね。一種のマスター・ナラティヴ (大きな物語の形成)といえる。


仲正 確かにそうです。 先日、統一教会は文鮮明死去十年の節目として、ソウルで集会を行いました。そこで 安倍元首相について「統一と平和のための運動に尽力された」として、追悼の時間を設けていました。普通の感覚であれば「暗殺事件で批判されている団体が、こんな時期に何をやっているんだ」と思うかもしれません。でも彼らは違う。教会内部では「真の父母様を称えるイベ ントが世界で報道された。メディアもわれわれの勝利を放送せざるを得なかった」などと正当化していることでしょう。彼らがその物語を信じている限り、統一教会に敗北はないのです。

二代王様も語られているように、「神様と自分の物語(関係・目的)」は、正しいものであれば必要です。
しかし、家庭連合の食口が「韓鶴子の物語」を信じている限り、「サタンに敗北はない」と言えます。

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