「どちらがより悲惨な道を歩んだのかということを中心として、認定されなくてはなりません。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
上という言葉をするようになる時はすでに・・・。上が先に生じない。下が先に生じる。
下を知らない人は阿呆だ。宇宙を創造するようになる時、神様が上を決めておいて下をつくったのか、下を決めておいて上をつくったのか?「下を決めておいて上をつくりました。」
上の存在は下を知らなければならないその言葉だ。そのために皆さんの言葉の中で上というものがある前に下があることを認定しなければならない。下を認定すれば上が生じるのであって、下を認定しなければ上が生じることができない。天地の存在がそうだ。この一つが偉大な発見です。
皆さん、出世が良いだろう?出世したいか?立派になりたいか?立派なものの反対を知らなければならない。占有条件、立派になるためには窪みがどれほど深かったかということを知らなければならない。
皆さん一代に暮らしがよいと誇るなというのだ。低い場に行かなければならないのだ。
統一教会もこれを知るようになれば、統一教会で一番になろうとすれば統一教会一番のビリについて行かなければならないのだ。統一教会に入って来て先に立つと言うな。それは愚かな奴らだ。
出世しようとすれば苦労をしなければならない。愛国者になろうとすれば監獄生活を普通東西南北すべて経ることを知らなければならない。そこに行けば聖人もおり地獄の閻魔大王の場もあってすべてあるのだ。獄中の聖者になる前には天国に行く人がいません。
今や分かった。良くなるという人、出世するという人は‘私滅ぶ。’と言うのだ。世の中によくなるとすれば、‘一人世の中のために私は投げ捨てて深い谷間になる。’と言わなければなりません。こうして為に為に為にするのにおいて谷間が生じ、為にせよという所は谷間が生じません。それが天理の理致だ。
財産をはたいて自分にあるすべての一家も追い散らして国のために捧げると言う人にならなければならないのだ。
これらを振り返ったのは、昨日のラインのお陰です。
【今日の、み言】
「み言に学ぶ統一原理後編、アダム家庭、メシヤのための基台とその喪失p72」
アベルは、サタン世界の底辺に住む僕のような人たちに仕え、感化させなくてはならないのですから、僕の歴史に、いま一つの僕の歴史を積み重ねなくてはならないのです。
その場合、サタン世界の僕たちと、天の世界のアベルの、どちらがより悲惨な道を歩んだのかということを中心として、認定されなくてはなりません。
その時サタン世界の僕たちが「何の希望も持てないどん底の中にあっても、あなたは希望を捨てることなく、力強く、わたしを支えてくれた」と認め、「地上で自分の命も惜しまず、愛と理想をもって犠牲的に尽くしてくれたのはあなたしかいません。私は誰よりもあなたを信じ、国よりも世界よりも、あなたのために尽くします」と言うようにならなければなりません。その認められた世界を通して、初めて「自分はアベルであり、あなたはカインである」と言うことができるのです。
アベル・カインの関係はその時から始まるのです。
1979.12.30
伝道復興委員会文責