群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

座右の銘

天一国指導者の道(13) : 文鮮明先生말씀選集

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

 摂理史観的に見る時に血統復帰と和合の世界、所有権の世界がこのように終えることによって、アダム家庭の怨恨の種として残っていた根を抜いて燃やしてしまうのだ。そこに属した歴史的な書籍全部を燃やして、神様の心をもの悲しくした全ての文人だとか学博士だとか何のノーベル賞の受賞作までも全て違背する存在は燃やしてしまって新しい天地に神様の直接的な法を中心とした新しい天国万国の解放太平王国時代に前進するのだ!アーメン!「アーメン!」


2016/10/21 号外「ボブ・ディランは、悪魔に魂を売った」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
を思い出しました。

ボブ・ディラン // 悪魔に魂を売った、ノーベル賞受賞者 - YouTube


この機会に、在庫記事を放出させて頂きます。
やはり「成功者」=「悪魔に魂を売った人達?」が登場します。


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座右の銘


(御言葉の無い記事です。)


ある人から、「堀さんは言葉の人だ」と言われたことがあります。
その前後関係・趣旨はさておき、「言葉を愛する」のは間違いないと思います。
神様の「創造」が「御言葉」でなされたことを思えば、私に限らず、当たり前かも知れません。
私の場合、「御言葉」以外に、ボブ・ディランの言葉も愛しています。


ボブ・ディランは、言葉に限らず、その特徴の一つは「意外性」だと思います。
2019/06/09 家庭連合の「偶像崇拝」と、自分の「偶像発見」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
以来、Kpopの「Blackpink」を好んだのは、自分も「意外性」を作ろうとした動機があります。
(誰に対してか、分かりません。)


その「Blackpink」にも飽きて、順番が逆ですが、「Twice」を知るようになりました。
そのメンバーの座右の銘は次です。


ナヨン

感謝して生きよう!


ジョンヨン

人生は選択だ


モモ

頑張れば美味しいものを食べられる


サナ

いつも前だけ見て!


ジヒョ

肯定的なマインド!


ミナ

楽しく生きよう


ダヒョン

This too shall pass away(まあいいか)


チェヨン

楽しもう!


ツウイ

努力は裏切らない!

挫折せずに最善を尽くせば良い結果を得られる。


「アイドル」だと馬鹿にせず、「成功者」だと思えば、重みを感じます。
特に「This too shall pass away」は、「これも過ぎ去る」という直訳にすると、深い意味を感じることができます。


(ちなみに、自分の「座右の銘」が無いことに気づきました。
御父様や二代王様には、あるのでしょうか?)


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その後、昨日の記事を書いて、反省し、蛇足を追加します。


2022/02/03「神様の愛をこの地上の人たちに伝授してあげる」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から引用します。

毎日の訓読会に価値があるように、毎日のブログにも価値があると思います。

一つには、「多くの話題で飽きない」ことです。

しかし欠点は、「次から次へと通り過ぎて忘れてしまう」ことです。

一昨日、天暦の元旦に、根本的なことをまとめました。


神様は負けないので、手足となって戦う。


その後、この外的なことを、内的に深めました。


神様の絶対愛を絶対信仰して、神様に絶対服従する。


忘れないことを願いながら、ここに書きました。

「座右の銘」が無い理由です。
願いもむなしく、忘れました。


「今までの私と異なった新しい時代の他の姿として出発する」ために、「座右の銘」を作ります。
「短縮」が好きな私ですが、「絶対服従」だけでは駄目です。
「神様の絶対愛を絶対信仰して」が重要です。


2022/03/15「怠ける自分がいるだろ。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した、二代王様の御言葉を再掲します。

愛が大きくなければならない。愛が大きいからこそ、このような不便なことを、毎日毎日重いものを持って歩くことが出来る。愛が弱ければ、どんなにお父様の御言葉を勉強して、聖書を勉強しても関係ない!偽りだ。

神様に愛されていると信じなければ、愛する余裕が生まれません。


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蛇足の蛇足です。


過去、私の人生の「どん底」期に、「絶対信頼」という言葉を考えたことを思い出しました。
「神様の絶対愛を絶対信仰して」を「短縮」したニュアンスです。
私にとっては長すぎる(?)「座右の銘」を思い出すキーワードに使えるかも知れません。

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