群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「一人しかいない私自身を尊敬して愛しなさい。」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)


下記は、御父様の御言葉ではなく、2006年1月21日(土)、清海ガーデン、朝の訓読会の時に、参加者の一人、仏教系の人が、御父様の制止を遮って、語り続けたものです。
結果的に、御言葉選集に収録されたのは、意味があるかも知れませんし、私も次の部分に感銘を受けました。
御父様と霊的に出会った証しの一部です。


一人しかいない私自身を尊敬して愛しなさい。

アボニムがまたぴたりと現れて何だとそうなのかと言えば、すべての人たちに


‘愛する息子娘たちよ、よく聞いてみなさい。あんたたち一人、一人は天地間の個性の立場でたった一人しかいないのだ。それゆえに一人しかいない私自身を尊敬して愛しなさい。そうしてから目を開けて世の中を眺めなさい。あんたのように一人づつだけ存在するのだ。すべてのものがすべて神様だけなのだ。今や自分自身を尊敬し愛したようにあんたがたもこの衣(子供?)を尊敬して愛しなさい。そうすればあんたたちも尊敬と愛を受けるでしよう。これが精誠であり、精誠であり、精誠なのだ。精誠の中で知る通り自分の勤めに尽くしなさい。そして知らない時は探してかばって尋ねて学ぶ感謝することを知りなさい。これが聖になることなのだ。’


これがアボニムが5日に渡ってお話しくださったみ言葉の内容でした。」(拍手)


 そう、拍手をしてあげなさい、拍手を。(拍手)


連想したのは、下記です。
2021年3月14日、中村教会長の説教

で紹介された、御父様の御言葉から引用します。(翻訳・共有に感謝申し上げます。)


1.「自分が自分を信じる」
https://sanctuary-japan.tokyo/Documents/20210314_02.pdf


自分が自分を信ずるには、良心の指示する、命令するすべてのことをなしてあまりある人間にならなければいけない。

人を頼りとするな。あなたたちがいかなる難しいことがあったとしても、人を頼りとしてそれを決めるんじゃなくて、自分を頼りとせよ。自分を信じる人間となれ。特に信仰生活において、蕩減路程において、いつも問題になるのは、自分が自分を信じることができない。だから自分が自分を信じられない者は、神自身が信じることができない。


自分が自分を信ずるには、良心の指示する、命令するすべてのことをなしてあまりある人間にならなければいけない。人に頼ったり、人に何か望みをもって頼ったりする、そういうような立場には完全蕩減復帰というものはありません。


だから、蕩減の路程は、自分が自分と対決して、自分が自分を信ずるような立場に立っていくところに蕩減の道は生まれてくる。そういうふうに自分が自分を信ずるような結果は、個人より、家庭より、何段階までも発展させていくというと、それは、神がいつでも共にいてくれる、それが問題である。だから、人に頼って、何か相談してやったということでは蕩減の道は進展いたしません。


2.『文鮮明先生御言選集118-157~159』
https://sanctuary-japan.tokyo/Documents/20210314_02.pdf
から引用します。(翻訳・共有に感謝申し上げます。)


私の心を見てみるとき、心が真の心、真の愛の心になっているのか?

私が私を信じることができなければならないということです。そのようにできますか? 皆さん自身が個人的メシヤにならなければなりません。皆さん自身を信じることができますか? 第 3 者が私を信じるようにできるのかということです。メシヤは、自分自身を信じることができると同時に、相対が自分を信じるようにできる能力をもっているというのです。


では、私自身が私自身を信じられるでしょうか? 誰もが自分を信じるよう

にできる自信がありますか? (「あります」)。今は信じていても、いつどのようになるか分かりますか? 女性たちは、自分が自分を信じられないでしょう? そうですか、そうではないですか? 問題はそれだということです。私が私自身を信じられないのです。自分を信じられない人が、夫に自分を信じてくれることを願うのですから、それがどれほど大きな罪ですか。


メシヤという方は、自分を信じることができると同時に、相対が信じられる基盤をもっているというのです。では、皆さんの基盤は何ですか? それは深刻な問題だというのです。自分を信じられない人が、人を信じることは難しいのです。

それでは、信じていることを誰が決めるのですか? 私が私を信じていると

誰が決めるのでしょうか? その原則は何ですか? 私自身が「信じている」

と言える原則とは何ですか? それは真理です。真理の道だということを知らなければなりません。簡単です。その次には、愛の道だというのです。


私の心を見てみるとき、心が真の心、真の愛の心になっているのか? 私の

体が真の道を行こうとしているのか? 真の愛の道を行こうとしいているの

か? そうであれば信じることができるというのです。真理と真の愛は永遠に通じます。絶対的な場まで行くのです。絶対圏に到達するということです。


無闇な「自己崇拝」に陥らないように、やはり御父様の御言葉が必要です。
(冒頭のメッセージは、「自己嫌悪」を慰め、「自分を愛するように他人を愛する」ために良いと思います。)

×

非ログインユーザーとして返信する