これらも、「焼きつくされる」ことになった時に、参考になる御言葉だと思います。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
ソドムとゴモラで義人を探したアブラハムの姿になろう
ーOUR FATHER FORSAKEN リーダー: 今回の聖霊大学の授業は2代王様の本「見捨てられた我らの父」を日本語に翻訳して読みながら討論する時間でした。2代王様と王妃様は、この本の重要なポイントをどのように見られるのかお聞きしたいです。
アメリカがどのようにして今のように悪くなってしまったか、また考え方によればアメリカを告発する本だとも言えます。今キリスト教が滅亡の道を行きつつあり、キリスト教が悔い改めなければいけない、ここに焦点を合わせていると見なければならないでしょう。
アブラハムがソドムとゴモラについて神様に談判祈祷をするではないですか。義人50人がいれば許して下さいますか、と聞いて。後では5人まで下がりますね。(創世記18章22~33節)そのように神様が手を打つことが出来ないほど、この世に悪が沢山あるのに、5人中の一人として義人として立つことが出来るか、それを私たち自身に問いかける本だと思います。
今難しい時間なのでまた神様と主により近づける時間であると考えます。私たちは、全てうまく行っている時は神様を良く考えないではないですか。ところで、今こんなに難しいほど、事実最も大変な時、義人はいないと言いますね。
私たちが最も大変な時、義人として立つために私はどうしなければいけないか、また私がみ言葉に依存しながら生きることは実体化出来るのか、この本(見捨てられた我らの父)は読んで、挫折してすべて終わった、ではなく、それでもソドムとゴモラで義人を探したアブラハムの姿になろうと語っていると思います。
難しい事情を通して神様により栄光を表すように、あ、私に困難を下さるんだと考える
イエス様は、ある人がめくらで難しい事を沢山経験したのは、神様に栄光を現わすためだとヨハネの福音書9章(1~5節)にありますが、私はこの聖句を見ながら、弟が体が悪かったのが理解できました。
そんな難しい事情を通して神様により栄光を表すように、あ、私に困難を下さるんだと考えることが出来れば、神様はその困難の材料を証の基盤としてしてくださると私は考えています。
これらも、「焼きつくされる」ことになった時に、参考になる御言葉だと思います。