「アベル的キリスト教の人達を集める摂理」に意義と価値があると思います。
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
講演文選択の理由
お父様は米国人を初めてご覧になりながら、もちろん食口はいますが、食口ではなく一般米国人を初めてご覧になりながらどのような御言を語られるのか、これは特に米国がこのような危機にあるのでその時語られた御言をもう一度私たちが確認して、私たちが活動するのですが参考にすることが良いのではないかと考えてこの講演文を選択しました。
私の「余談」の材料
この宇宙は存在世界であることを私たちは知っています。それは誰もが認めています。存在するためには力がなければならないということを知っています。その力があるためには、力が先か存在が先かということが問題なのです。力がなければ存在もありません。ところが、その力というのは作用せずには現れないというのです。力が出る前に作用という現象が必ず必要です。
また、作用するならそこには力がある前に先行条件として主体と対象が絶対に必要であることが否定できません。この主体と対象がやり取りすることで働き、働くことによって力が存続するのです。つまり、力が出る前になければならないものが何かというと、主体と対象だということです。
このような御言葉は何度も読みましたが、上記太字の2つが矛盾するように見えることに、初めて気づきました。
考えた結果、上記赤字の「存在」は、「存在物」ではなく「存在状態」だと理解しました。
私の「本論」の材料
今ここにもイエス様を信じる人がたくさん来られたと思います。今信じているキリスト教ではだめなのです。そうしていくと、イスラエル民族のようにばらばらになってしまうかもしれません。今日、全世界に散らばっているキリスト教徒たちは、神様を中心として、一つになり再び来られる主が、この使命を持って来られるので、再び追放することがないように基盤を築く運動をしなくては、これからのこの世界の展望は悲惨だと考えざるを得ません。
上記に関するエルダー本部長の祈祷
その時、全ての米国国民が何も知らない所に来られて私たちを教育して下さいました。特にキリスト教徒達を対象に「今の現在のキリスト教を持ってしては駄目だ。キリスト教が一つになってこそメシアに会うことができる、救世主に会うことができる」このように御言を語られた事を考えるとき、今日の日も米国のキリスト教が一つになる事ができていないことを本当にお父様の前に悔い改めるしかありません。
二代王様は今、アベル的キリスト教、すなわち、キリスト教の教会に通っていなくても、キリスト教の基本的信仰を信じて、基本的倫理道徳を守る人達、その様な人達を集めて摂理をされていることを知っています。
エルダー本部長は、「一つになる」ことに注目していますが、「追放することがない」ことが、より核心だと思います。
だからこそ、「アベル的キリスト教の人達を集める摂理」に意義と価値があると思います。