群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「聖進オンマ」のエピソード

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

 11月20日頃、南山洞に部屋を得て数日もならなかった頃でした。南山洞の小道の横の小さな部屋には玉世賢のお母さん、チ・スンド(지승도;池承道)のお母さん、李耀翰牧師そして私を含めた4人が起居していました。


 その日の午後4時頃になったでしょうか?どこか耳に聞きなれた声が聞こえてきました。「南山洞31番地がどこですか?」といった声は崔先吉女史の声でした。


 アイロンがけをしていた私はあまりにも驚いて靴も履かずに外に走って出て木を積んで置いた物置小屋に隠れました。主人のおばさんが、私がそのように驚く姿を見ておかしく思いました。玉氏のお母さん、池承道のお母さん、李耀翰牧師も部屋の中で取っ手をつかんで震えていました。家の主人が「ここは南山洞31番地でありません。もう少し上がって行かなければならない。」と答えてくれました。

これを読んで、私は思わず笑ってしまいました。
「聖進オンマ」が、いかに恐ろしかったかが分かります。


しかし、彼女は、その前に一度、悔い改めた時がありました。

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

金元弼先生が私を探しに来ました。「賢實氏、家に行きましよう。崔女史が悔い改めた。」と言った言葉を信じることができなくてずーっとそのまま座っていました。どれほど時間がたったのでしょうか?心が沈静した後、金先生について降りて行きました。到着してみるとアボ二ムは崔女史に多くのみ言葉をしてくださっておられました。その貴いみ言葉に崔女史も感動して悔い改めながら、「私もこれからは一人の食口になってこの道を行きます。」と屈服するようになりました。

その瞬間には崔女史もはっきりとこの道を行くと3人以上の証人の前で確実に約束をしました。アボニムはどこの誰よりも崔女史が天のみ旨をなすのに一人の食口になると盟誓することを見て、あまりにも向かい合って満足げにされるように見えました。

このまま、うまく行けば、「真の母」になれたのかも知れません。

 アボニムはその時崔女史に心からこの道を共に行くと決心しなければならないと強調されました。そして一番重要なことは崔女史も食口としてアボニムを信じて侍って受け容れ尊敬して恭しく仕えるという心を持たなければならないと言われました。それはその方に最も越えがたい峠だったし責任分担であり宿題でした。

長い時間一人で息子を育てながら不安で憂鬱だったのか朝夕で心が変わりました。アボニムが少しだけよく対してくだされば少し良くなったとも、アボニムは誰かに会うと外に出られるか食口たちと長い時間すごされると、本人におろそかであるという感じが来れば一人あれこれの思いをしながら心が180度異なるようでした。


 詳しい話をすべてできないが、時には自分の心でないように常識以外のこともしました。私はアボニムがお姉さんと妹のように過ごしなさいと言われたために、崔女史の洗濯もしてあげ近く過ごそうと努力しました。しかし崔女史はわが教会の食口になるということがつらいようでした。礼拝を見る時もいつも隅に一人座っていたし誰と話をすることもありませんでした。

結局、その後、冒頭のようなこともあり、離婚もされたのでした。


 以後に長い時間が過ぎ1970年代に一度見たことがあるが、その時は心が多く安定して互いに和解をしました。

既に御父様は韓鶴子と結婚していました。
崔先吉女史も「失敗」しましたが、今や、韓鶴子の「失敗」は、もっと大きいと思います。



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