「私の人生の目的は喜びではありません。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
1.生殖器が武器になる
昨日の記事では、「夫婦の性」の尊貴さの御言葉でした。
今回は、「若い男女の性」の危険さの御言葉です。
若い男の子たちは誘惑に弱く自分をコントロールできません。若い女性は狼の罠に捕まります。それはロマンスですね。ですから韓国ドラマはロマンスポルノです。それはポルノグラフィです。
なぜ若い年齢の時に生殖器がどれくらい人を破壊するのか教えられなかったのでしょうか?それは明らかに人々の人生を破壊して殺します。皆さんはどこでもそのことを聞きません。
善の人たちは銃の様な、自己防衛、隣人を守るということ、コミュニティを守るという危険な事を乗り越えるコントロール力を持たなければなりません。
しかし同時にまた、社会の保護の一部は同じように皆さんの生殖器が武器になるという事を知ることです。銃のように危険なのです。それ以上です。
それは人々が喜びの為にそれを利用しようとすればそれは他の人の人生を破壊することができます。
男性だけが女性の人生を破壊するのでなく、女性も男性の人生を破壊します。
皆さん知っていると思いますが、高校生の女の子たちは男の子をレイプしようとします。特にクリスチャンの若い男の子は意図的に標的になります。欲望の力で締め上げられます。それらは悪の遊女たちです。彼女たちは自分の女性器を武器として使い誰かの人生を破壊します。そしてその価値を破壊します。
2.私の人生の目的は喜びではありません。
ここでいう「喜び」は、原理講論総序の「幸福」ではなく「欲望」に近いと思います。
そして、創造原理にある「人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった」を思い出します。
もしも皆さんが喜びだけを求めれば簡単に犯罪者になります。皆さんは簡単に腐敗して、腐敗したギャングに入るでしょう。そのギャングとは道端の低レベルのギャングではありません。お話ししているのは高いレベルのギャングです。それはアカデミーであり、学校、大学であり、政治や小児性愛者犯罪グループなどです。簡単に妥協します。
私はここに生きているのは喜びのためではありません。私の人生の目的は喜びではありません。事実は私の人生は多くの場合痛みで満たされています。
しかし、私はその痛みを超越します。なぜなら私は喜びの為に生きてはいないからです。
もしも私が喜びの為に生きているなら、痛みは私の敵になります。私は喜びの為に生きていません。だから痛みは私の恐れではありません。みなさん、理解できますか?私の恐れは何ですか?それは神の怒りです。神が私を知らないと言われることです。私は神様との関係を失うことです。
それは痛みとは違う感覚です。なぜならそれが最高の人間の繁栄だからです。それは愛の美徳です。それは人間の最高の美徳である私たちの創造主との関係です。これらは超越的価値或いは超越的規範と呼びます。
****
おすすめ:
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
「キリスト教」のブログは、こちら
任命式の映像はこちら