「夫婦喧嘩」 キングズレポートなどから
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
私たちは配偶者と喧嘩する時あまりにも簡単に配偶者が自分の敵だと考えやすいのです。 もちろん、夫がお酒を飲んで家庭内暴力を振るう場合は違います。
しかし、ほとんどの場合、私たちが配偶者と喧嘩をする時、それは自分が問題である場合が多いのです。 しかし感情が私たちを支配するのです 。それで私たちは感情を表に出し、怒りを噴出し、暴言を浴びせかけます。 舌は私たちの生と死を決めると聖書では言っています。
傷つける言葉はその時は何でもないように見えますが、結局は胸に深く残ります。そのような失敗をすることになるのです。感情が爆発しようとするとき、子供達でなければ夫に対して取り返しのつかない傷を与えるのではなく、そういう時は祈祷室に入るのが賢明です。 そして聖書を開くのです。聖書やお父様のみ言葉の中で私たちは主が私たちのために死なれて私たちを聖くされることを経験します。 そのようにどこに立っているかをよく知ることが大切です。
242頁
金持ち父さんは私に、腹が立ったら十数えろ、ひどく腹が立ったら百数えろと教えてくれた。
そうやって頭が冷えたら、私はただ相手に「申し訳なかった」とだけ言う。
どんなに腹が立っても相手を責めたりしない。
もし責めたら、力はわたしのものではなく、その人のものになる。
何であれ起こったことに対して責任を取れば、貴重な教えを学ぶことができる。
失敗したわけだから、その教えは明らかに私が学ぶべき教えだったのだ。
これが本当なら、さすが「金持ち」になれる人は、平凡な「信仰者」よりも優れているようです。
昨日の記事から引用します。
わが家は、簡単に「爆発」と「忘却」を繰り返す、「幸せな夫婦」かも知れません。
実は、訪米の時にも、やってしまいました。
出発の成田空港で、家内が準備したはずのお金が無いことに気づきました。
家内は、家に置いてきた記憶もありませんでした。
いずれにしても、これから1週間、気にすれば気分の悪いことでした。
周りに人がいるので「爆発」まで行きませんでしたが、かなり「険悪」になりました。
しかし、その後の「忘却」によって、楽しく過ごすことができました。
(時々、「記憶」がよみがえりましたが)
結局、帰宅してみると、自宅に置き忘れていました。
もしも私が、「家内にまかせた自分が悪かった」と責任を取っていれば、帰宅後「今後は自分が管理するね」と言って、自分のものになったかも知れません。
しかし、家内を責めてしまったために、見つかった喜びもあって、引き続き家内が管理することになりました。
「もし責めたら、力はわたしのものではなく、その人のものになる。」
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