「救いようが無い」 家庭連合を批判する聖句
聖句の記事を発表する場合、「クリスチャンとの議論」を先に考えて、「家庭連合の批判」は後にしようと思っていました。
しかし、要約「劉正玉会長の証言」をLINEでお送りした家庭連合の人から、面白い返事を頂きました。
目を覚ましてください
不親切にも、それだけで何の説明もありません。
察するに、その意味は次でしょうか?
韓氏オモニは無原罪で生まれたのですよ。
御父様だけがメシヤだという、御父様の生前の教え、あるいは、私達の理解は、間違っていたのですよ。
目をさましてください。
「救いようが無い」とは、このことだと思いました。
ガラテヤ人への手紙/ 01章 06~09節
あなたがたがこんなにも早く、あなたがたをキリストの恵みの内へお招きになったかたから離れて、違った福音に落ちていくことが、わたしには不思議でならない。
それは福音というべきものではなく、ただ、ある種の人々があなたがたをかき乱し、キリストの福音を曲げようとしているだけのことである。
しかし、たといわたしたちであろうと、天からの御使であろうと、わたしたちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その人はのろわるべきである。
わたしたちが前に言っておいたように、今わたしは重ねて言う。もしある人が、あなたがたの受けいれた福音に反することを宣べ伝えているなら、その人はのろわるべきである。
当然、太田元講師を思い出します。
ガラテヤ人への手紙/ 04章 17節
彼らがあなたがたに対して熱心なのは、善意からではない。むしろ、自分らに熱心にならせるために、あなたがたをわたしから引き離そうとしているのである。
ガラテヤ人への手紙/ 06章 07~08節
まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。
ピリピ人への手紙/ 03章 02節
あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。
ピリピ人への手紙/ 03章 18~19節
わたしがそう言うのは、キリストの十字架に敵対して歩いている者が多いからである。わたしは、彼らのことをしばしばあなたがたに話したが、今また涙を流して語る。
彼らの最後は滅びである。彼らの神はその腹、彼らの栄光はその恥、彼らの思いは地上のことである。
コロサイ人への手紙/ 02章 08節
あなたがたは、むなしいだましごとの哲学で、人のとりこにされないように、気をつけなさい。それはキリストに従わず、世のもろもろの霊力に従う人間の言伝えに基くものにすぎない。
コロサイ人への手紙/ 03章 25節
不正を行う者は、自分の行った不正に対して報いを受けるであろう。それには差別扱いはない。
テサロニケ人への第二の手紙/ 02章 10~12節
また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである。彼らが滅びるのは、自分らの救となるべき真理に対する愛を受けいれなかった報いである。
そこで神は、彼らが偽りを信じるように、迷わす力を送り、
こうして、真理を信じないで不義を喜んでいたすべての人を、さばくのである。
テサロニケ人への第二の手紙/ 03章 06節
兄弟たちよ。主イエス・キリストの名によってあなたがたに命じる。怠惰な生活をして、わたしたちから受けた言伝えに従わないすべての兄弟たちから、遠ざかりなさい。
テモテへの第一の手紙/ 01章 19節
ある人々は、正しい良心を捨てたため、信仰の破船に会った。
テモテへの第二の手紙/ 03章 08~09節
ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。
しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、多くの人に知れて来るであろう。
テトスへの手紙/ 01章 10~11節
実は、法に服さない者、空論に走る者、人の心を惑わす者が多くおり、とくに、割礼のある者の中に多い。
彼らの口を封ずべきである。彼らは恥ずべき利のために、教えてはならないことを教えて、数々の家庭を破壊してしまっている。
テトスへの手紙/ 01章 15~16節
きよい人には、すべてのものがきよい。しかし、汚れている不信仰な人には、きよいものは一つもなく、その知性も良心も汚れてしまっている。
彼らは神を知っていると、口では言うが、行いではそれを否定している。彼らは忌まわしい者、また不従順な者であって、いっさいの良いわざに関しては、失格者である。
ヘブル人への手紙/ 06章 04~06節
いったん、光を受けて天よりの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となり、
また、神の良きみ言葉と、きたるべき世の力とを味わった者たちが、
そののち堕落した場合には、またもや神の御子を、自ら十字架につけて、さらしものにするわけであるから、ふたたび悔改めにたち帰ることは不可能である。
ヘブル人への手紙/ 10章 26~29節
もしわたしたちが、真理の知識を受けたのちにもなお、ことさらに罪を犯しつづけるなら、罪のためのいけにえは、もはやあり得ない。
ただ、さばきと、逆らう者たちを焼きつくす激しい火とを、恐れつつ待つことだけがある。
モーセの律法を無視する者が、あわれみを受けることなしに、二、三の人の証言に基いて死刑に処せられるとすれば、
神の子を踏みつけ、自分がきよめられた契約の血を汚れたものとし、さらに恵みの御霊を侮る者は、どんなにか重い刑罰に価することであろう。
引用の多さは、神様の「怒り」の大きさを表現しています。
しかし神様は「愛」なので、次の過去記事で終わります。
****
おすすめ:
(お問い合わせ先:メール sanctuary.saitama@gmail.com
電話番号 堀勇一070-6670-5334 堀久子070-6637-7424 )
「キリスト教」のブログは、こちら
任命式の映像はこちら