パウロの「傲慢」
昨日と同じ御言葉を引用します。(太字の強調箇所を移しました。)
真のお父様に帰ろう!『三代王権・こころのサンクチュアリ教会』: キングスリポート 5/1,2(2日分◆ヤコブの手紙、信仰だけでは救われない平和軍訓練実践せよ。からです。
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
ペトロとパウロはヤコブの言葉を聞きました。
それで聖書にも出てくるように、教会の草創期に彼がどれだけ大きな力を持っているのか知ることができます。
彼もまた王冠を被りました。パウロはさらに傲慢になり、結局違う道を歩むようになりました。
そして自身を最高の使徒のうちの1人だと称し始めました。
お父様もまた、パウロについて多くの批判をしました。
(パウロは)ヤコブからだんだん離れていきました。
教会内でも喧嘩が起こるようになりますが、ヤコブは続けて新しい教会員が割礼を受けてユダヤ人の法に従うようにしました。
イエス様は旧約聖書を捨てられませんでした。
イエス様が旧約聖書について沢山話されたことは知っていますよね。
ガラテヤ人への手紙/ 01章 14~19節
そして、同国人の中でわたしと同年輩の多くの者にまさってユダヤ教に精進し、先祖たちの言伝えに対して、だれよりもはるかに熱心であった。
ところが、母の胎内にある時からわたしを聖別し、み恵みをもってわたしをお召しになったかたが、
異邦人の間に宣べ伝えさせるために、御子をわたしの内に啓示して下さった時、わたしは直ちに、血肉に相談もせず、
また先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行った。それから再びダマスコに帰った。
その後三年たってから、わたしはケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間、滞在した。
しかし、主の兄弟ヤコブ以外には、ほかのどの使徒にも会わなかった。
自信に満ちて、ケパすなわちペテロ、そしてヤコブに対して、肩を並べようとしたパウロでした。
ガラテヤ人への手紙/ 02章 06~14節
そして、かの「重だった人たち」からは――彼らがどんな人であったにしても、それは、わたしには全く問題ではない。神は人を分け隔てなさらないのだから――事実、かの「重だった人たち」は、わたしに何も加えることをしなかった。
それどころか、彼らは、ペテロが割礼の者への福音をゆだねられているように、わたしには無割礼の者への福音がゆだねられていることを認め、
(というのは、ペテロに働きかけて割礼の者への使徒の務につかせたかたは、わたしにも働きかけて、異邦人につかわして下さったからである)、
かつ、わたしに賜わった恵みを知って、柱として重んじられているヤコブとケパとヨハネとは、わたしとバルナバとに、交わりの手を差し伸べた。そこで、わたしたちは異邦人に行き、彼らは割礼の者に行くことになったのである。
ただ一つ、わたしたちが貧しい人々をかえりみるようにとのことであったが、わたしはもとより、この事のためにも大いに努めてきたのである。
ところが、ケパがアンテオケにきたとき、彼に非難すべきことがあったので、わたしは面とむかって彼をなじった。
というのは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、彼は異邦人と食を共にしていたのに、彼らがきてからは、割礼の者どもを恐れ、しだいに身を引いて離れて行ったからである。
そして、ほかのユダヤ人たちも彼と共に偽善の行為をし、バルナバまでがそのような偽善に引きずり込まれた。
彼らが福音の真理に従ってまっすぐに歩いていないのを見て、わたしは衆人の面前でケパに言った、「あなたは、ユダヤ人であるのに、自分自身はユダヤ人のように生活しないで、異邦人のように生活していながら、どうして異邦人にユダヤ人のようになることをしいるのか」。
自信に満ちて、ケパすなわちペテロに対して、直接対決したパウロでした。
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