「良いことをしたことで救われるということはありません」 英語説教から
(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
神様は我々のやることに感心しません。良いことをしたことで救われるということはありません。自分の罪を告白して悔い改め、神様を心に受け入れ、「あなたを頼りとして信頼します」「私の命を捧げます」と言う時に救われるのです。
それから良い行いをすれば、神様は喜ばれ、刺激を感じられます。感動されます。それはあなたが自分の行いを自慢しようとせずに、ただ神様を喜ばせるためにやろうとするからです。
これを読んで思い出したのは、次の過去記事です。
史吉子氏の「原理に関するみ言の証」284頁からの引用を再掲します。
いつか、お父様は摂理の木を、大きく黒板に書きました。
(中略)
それでは、この木で私たちはどんな位置にいるのか。
私たちは一つの小枝だそうです。
その小枝がやるべき責任分担が何かというと、摂理の木からひたすら落ちないことです。
その落ちない秘訣は何なのか。
その秘訣はひたすら服従しかないそうです。
自己主張が一つもあってはいけないのです。
よく牧会者たちが間違って錯覚をし、失敗することがあります。
お父様が命令を下せば、自分が実績を上げようとして意地になることです。
お父様は、私が種を播いて、私が収めるから、あなたたちはただ私がやれと言われたとおりにだけしなさいと言われます。
「救い」の話と「摂理」の話ですが、似ています。
「実績のない自由はない」(原理講論126頁)ですから、「実績」は大切です。
ただ、「動機」に注意するということです。
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