聖句からの連想 ヘブル人への手紙から
1.家庭連合幹部の罪を思い出す
ヘブル人への手紙/ 04章 15~16節
この大祭司は、わたしたちの弱さを思いやることのできないようなかたではない。罪は犯されなかったが、すべてのことについて、わたしたちと同じように試錬に会われたのである。
だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。
私でも涙する「御父様の愛」2016/04/05で引用した、二代王様の御言葉を再掲します。
近くにいる指導者たちは、そのお父様の愛と恵みを体験しています。その恩寵が一般食口まで伝わって行かないのです。
「お父様からこういう愛を受けたました。皆さん覚えておいてください。」この言葉の背後に「自分が教えを守ったから、その見返りとして(当然の報酬として)愛を受けた」こういうメッセージが潜んでいるのです。
「神様・御父様との直接的関係」を「はばかることなく」持つことを妨げられ、「組織信仰」に導かれていた私達でした。
2.二代王様の従順を思い出す
ヘブル人への手紙/ 05章 08~10節
彼は御子であられたにもかかわらず、さまざまの苦しみによって従順を学び、
そして、全き者とされたので、彼に従順であるすべての人に対して、永遠の救の源となり、
神によって、メルキゼデクに等しい大祭司と、となえられたのである。
「神様の実体」である、キリストが「従順を学び」「全き者とされた」というのは、違和感を感じます。
パウロが「受難」を説明するための、一つの「理屈」だと思います。
むしろ、二代王様に当てはめると、ぴったりだと思います。
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