「聖和式」のための御言葉
昨日の当ブログを土台として、「本番」用の御言葉を選びました。
1.聖和式の意義
文鮮明先生のみ言「天地人真の父母定着実体み言宣布天宙大会の講演文」より
皆様、死という単語は神聖な言葉です。
悲しみと苦痛の代名詞ではありません。
それで真の父母様がその単語を「昇華」 (その後「聖和」に変更)という言葉に変えて発表しました。
地上界の人生を花咲かせて実を結び、 穀物を抱いて歓喜と勝利の世界に入る時が霊界入門の瞬間です。
喜ぶべき瞬間です。
心ゆくまで祝って送り出してあげるべき時です。
悲しみの涙ではない喜びの涙を流してあげるべき時です。
昇華式(聖和式)とはこのように神聖で崇高な儀式です。
神様の懐に入って侍り、永生を楽しむために行く第一歩なのです。
花嫁がお嫁に行くその瞬間よりも胸が躍って興奮すべき時です。
2・地上生活の意義について
八大教材教本「平和神経」より
人間は、地上界で100年くらい生きて肉身の機能が終われば、自然に、そして自動的に無形世界の霊界に入っていくようになっているのです。このように霊界は、肉身を土台として生きている私たちの目では見ることができないだけであって、地上生活の自動的で必然的な延長なのです。神様が創造してくださった、人間の永遠の本郷です。
霊界は、このように厳然として存在します。妄想の世界でもなく、想像の世界でもありません。これは、人間の選択権の外にあるのです。良いからといって行き、嫌だからといって行かなくてもよい、そのような世界ではありません。神様が永遠不変の方であられるように、御自身が創造された霊界も永遠不変なのです。
木の上で完熟した果物は、自動的に主人の倉庫に入っていきます。同じように、人間の霊人体は、木と同じ立場にある地上界の人生で完成してこそ、自動的に無形世界である霊界の天国に入っていくのです。言い換えれば、人間は、肉身をもって暮らす地上界の人生で、完熟した人生、すなわち、この地に天国を成し、楽しく暮らしてから逝ってこそ、自動的に天上天国に入城するようになるのです。
地上界で暮らす間、皆様の一挙手一投足は、このような天の公法を基準として、一つ残らず皆様の霊人体に記録されます。したがって、霊界に入っていく皆様の姿は、肉界での人生を100パーセント収録した霊人体の姿です。よく熟した善の人生だったのか、虫に食われ腐った悪の人生だったのかは、皆様の霊人体に赤裸々に現れるのです。神様が皆様の審判主ではなく、皆様自らが自分の審判官になるということです。このような途方もなく恐ろしい天理を知れば、どうしてあえて地上界の人生を、あらゆるサタンの誘惑に陥り、利己的で、快楽ばかりを追い求める背徳の人生で終えることができるでしょうか。皆様の霊人体に傷を負わせ、傷跡をつけることは、命を懸けて慎まなければなりません。
3.キリスト教について
八大教材教本「原理講論」より
人間はだれでも悪を退け、善に従おうとする本心の指向性をもっている。しかし、すべての人間は自分も知らずにある悪の力に駆られ、本心が願うところの善を捨てて、願わざる悪を行うようになるのである。このような悪の勢力の中で、人類の罪悪史は綿々と続いてきた。キリスト教ではこの悪の勢力の主体をサタンと呼ぶのである。
メシヤという言葉は、ヘブライ語で油を注がれた人を意味するが、特に王を意味する言葉である。イスラエル選民は彼らの預言者たちの預言によって、将来イスラエルを救う救世主を、王として降臨させるという神のみ言を信じていた。これがすなわち、イスラエルのメシヤ思想である。このようなメシヤとして来られた方が、まさしくイエス・キリストであるが、このキリストという言葉は、メシヤと同じ意味のギリシャ語であって、普通、救世主という訳語が当てられている。
メシヤは神の救いの摂理の目的を完成するために、降臨なさらなければならない。
4.霊界の生活について
八大教材教本「天聖経」より
何千万名が宴会をするという時、瞬く間に準備をする事が出来る世界が霊界です。自分が服を豪華絢爛にして、愛の対象として神様を一度楽しくしてさしあげるという時は、豪華絢爛になります。想像する全ての事が可能な世界です。
霊界に行けば飛び回るのです。真の愛は最高のスピードを持っている為に、広大な二百二十億光年にも成るこの宇宙も、真の愛をもった神様は、ぴょんと一歩で飛び越えるのです。皆さんも、全て同じです。霊界では、いくら大きい宇宙があっても、そこは自分自身の活動舞台です。
あの世で芸術家に会う様に成るなら、自分が芸術的な全ての素質を瞬間的に啓発して、ついていけます。万事が可能な世界です。ですから、あの世に行く様になれば、歌う所では歌い、踊るのです。
霊界の生活はどうでしょうか。食べる事の心配、生きる事の心配、着る事の心配は必要ありません。何故でしょうか。自分の心霊状態どおりに、願う全ての事が可能だからです。あの世でも食べます。あの世でも、自分をまず見れば、血筋が、脈拍がどきどきするのを感じる事が出来ます。同様です。霊的な体ですが、同じです。
自分が何かを食べたいと言えば、食べたい物が食べる事が出来る様になって現れるのです。
皆さんが霊界に行って、する仕事とは何でしょうか。その国でする仕事とは何でしょうか。そこで金もうけをしますか。服が必要で、家が必要ですか。皆さんが願うものは、即座に補給されます。
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