群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

私の証

10月1日付の当ブログでご報告しました、「尊敬する先輩家庭へのメール」を送った9月28日から1週間後、10月4日に「信じないように」「見ないように」というお返事を頂きました。


それで改めて自分のことを振り返りました。


御父様の自叙伝、165頁から引用させて頂きます。

>私たちに学校を運営する能力があるかどうかは二の次の問題でした。

>私はまず実行から入りました。

>意義が明確で良いことなら、当然始めなければならないでしょう。


私が、亨進様の説教を読み始めたのは、4月28日のことです。
教会の指導に従って、公式情報以外に触れないようにしていた私でしたが、「ファミリーフォーラム」は、ほぼ公式的なものとして、時々目を通していました。
すると「文亨進様に関するアメリカ教会のメッセージ」が目に止まりました。


そこには亨進様による4月21日の祝福式に対する批判が書かれていました。
亨進様が残して下さった「チャンプモニム億万歳」の映像を使って、原理を立てながら、毎朝敬拝をしていた私は、それを止めるべきか、と最初は思いました。


しかし、あの世界会長が一体どうしたのか、と検索を始めざるを得ませんでした。
その結果は…


5月1日に、次のメッセージを米国サンクチュアリ教会へ送りました。

This is just to tell you that we are a Japanese blessed couple who have been informed of you, believe in you, are ready to support you with all our efforts, and will be in touch.

(Please forgive my poor English.)

私どもは、あなた方について知り、あなた方を信じ、最大限の努力で支持するつもりで、つながって参ります、日本の祝福家庭でありますことを、ご一報いたします。

(つたない英語をご容赦下さいませ。)


5月8日に、最初の十一条献金をお捧げしました。


5月30日に、<三代王権・真のお父様に帰ろう!!BBS> 天の宣布 サンクチュアリー 亨進様掲示板(仮)に、次の投稿をしました。

>RE:礼拝参加について 

>教会では、天一国の歌、家庭盟誓の度に心が痛みます。

>そこで、6月からは家庭でお捧げしたいと思います。

>また、次の地域は近くですので、一緒にお捧げできる方々がいらっしゃいましたら、公民館等を使うことも考えています。

>ご連絡を頂ければ幸いです。

>東京都 足立区 葛飾区

>埼玉県 八潮市 三郷市

>千葉県 松戸市 流山市


すると掲示板の管理人さんと、現在のCyber サンクチュアリ人協会の総務さんと、埼玉県内の同志から、ご連絡を頂きました。
それだけでも、大きな力を得ました。


6月8日に、4年前に辞めた職場から、未払いの賞与があるという知らせを受けました。


これは、奇跡的なことでした。
これが無ければ、訪米できませんでした。


6月27日に、Cyberサンクチュアリ人協会の発起人さんから、埼玉教会長就任を打診されました。


翌日、拝命させて頂きました。


6月30日に、4年前の賞与を受け取りました。


7月19日に、訪米航空券を購入しました。


7月21日に、8月30日の祝福式参加を申し込みました。


8月1日に、当ブログを始めました。


8月8日に、Cyberサンクチュアリ人協会の設立式に参加しました。


そして今日に至っています。


冒頭の引用を繰り返させて頂きます。

>意義が明確で良いことなら、当然始めなければならないでしょう。


(お問い合わせ先:sanctuary.saitama@gmail.com)

あまりに恥ずかしい

「家庭連合配布 『サンクチュアリ教会の批判に対して』」への批判を続けます。


>真のお父様は2006年6月、聖歌3番(日本の聖歌4番)の「栄光の賜物」を天一国国歌として制定されました。この聖歌は、今も修練会や礼拝等で歌われています。

ほとんど歌われなくなりました。
国歌に制定される前と比べても、歴然と頻度が減りました。
罪悪感か、もしくは嫌悪感によるものです。
いずれにしてもサタンの心情です。


ちなみに日本の聖歌3番も、御父様が作った歌詞では歌われなくなりました。
サタンは、御父様が作った二つの聖歌の排除に成功しました。


>残念なことに、韓国と日本では聖歌3番のメロディーが異なっており、国際集会等で歌うとき、いくら指導しても歌が揃わず乱れる現象が起こりました。歌の乱れは、お父様の聖和される頃、6年を経過しても続いていました。(おそらく、今も強く意識しなければ歌が乱れることでしよう。実に悲しく、国歌の威厳を傷つける現象でした。)

あまりに恥ずかしい部分です。
1.6年努力して、歌も揃えられない集団だと、自分で言うことが恥ずかしい。
2.それに対して、「現象」という言葉を使って、責任転嫁する態度が恥ずかしい。
3.そういう態度なのに、「実に悲しく」と言う、白々しい偽善が恥ずかしい。
4.そのような人が指導者層になっている組織が恥ずかしい。
5.このような説明で説得されるメンバーだと思われたことが恥ずかしい。


>現在の天一国国歌は、天一国を成す概念が盛り込まれ、

それは何でしょうか?


>人類が願う自由・平和・統一・幸福などの恒久的価値も謳われています。

この世の国と変わりません。


>天地人真の父母様を称え、天一国ビジョンと願いが五大洋六大州と天宙まで満ちることを祈る内容です。

表面的で、中身がありません。


>また、天一国の象徴バラ、ユリ、鶴、天一国旗などが含まれ、

形状的で、表面的です。


>「国歌」としての意識をもって

押し付けられただけです。


>力強く歌うことができる意味で、

応援団と同じです。


>実に意義深いものと言わざるを得ません。

そうは思えません。


>新しい天一国国歌は、韓国と日本のメロディーが一致した聖歌が用いられており、

重要なことではありません。


>かつ、歌詞も「国歌」の意識を高揚できる内容があるため、

上で見たように、特にありませんでした。


>全員が力強く声を揃えて歌い、互いに鼓舞しあうことのできる

再び、応援団と同じです。


>優れた国歌であると言えるでしよう。

そうは思えません。


天一国国歌について、亨進様の指摘を凝縮すれば、こうです。

>国歌にどのような精神が反映されるべきかは、 王様が決めます。

>「栄光の賜物」です。

>殺人的なフンナム収容所で書かれたものです。

>死の環境において、神様を賛美しておられるのです。

>これぞ、天国の歌であり、天国の精神です。

>サタンでなくして誰が、歪曲して、 私達を天国の精神から引き離そうとするでしょうか。

この崇高な精神と比べて、上で見てきた、表面的な、応援団的な内容は、あまりに恥ずかしいものです。


亨進様は、例えばアメリカの国歌を変えると言ったらどうなるだろうか、と問いかけています。
天一国の国歌は、アメリカの国歌よりも重いものです。
メシヤの作った歌詞です。
メシヤが選んだ歌です。


そのような重要なものを変えるために、「国歌変更の宣言」をしませんでした。
黙って、愛唱歌のように歌わせることから始めました。
長い間、歌わせて、慣れさせて、本来の国歌を忘れさせて、疑問が薄れるのを待ちました。
卑劣なサタンの手口です。


サタンに騙されることは、ただでさえ恥ずかしいことです。
亨進様の指摘を受けても気づかないことは、あまりに恥ずかしいことです。


10月4日、日本サンクチュアリ教会とCyberサンクチュアリ人協会の合同礼拝で、江利川会長が語って下さいました。

「2006年6月に、平和神経を訓読しながら条件を立てて、御父様は天一国国歌を制定しました。

その時、天一国国歌を歌いながら、涙を流されていた御父様を忘れることができません」

これを聞いて、礼拝堂のあちこちから嗚咽が漏れました。


御父様の涙を踏みにじることは、あまりに恥ずかしいことです。


(お問い合わせ先:sanctuary.saitama@gmail.com)

家庭連合配布「サンクチュアリ教会の批判に対して」に対して

ブログ「三代王権・真の御父様に帰ろう!」に、9月30日付で「家庭連合配布 『サンクチュアリ教会の批判に対して』」が掲載されました。


それに対しては、既に私のブログに、8月16日付「聖霊とは何か」、8月19日付「第二教主と後継者」、8月20日付「初めのものは後になる」で、部分的な批判を述べたことがあります。


この機会に、他の部分も批判しておきます。


>八大教材・教本『天聖經』と天一国経典『天聖經』は明確に区別されており、別のものです。そして、両者は共に重要です。どちらかが優れ、どちらかが劣っているなどと、比較することはできません。


誤っています。

明らかに、八大教材・教本『天聖經』は、天一国経典『天聖經』よりも重要であり、優れています。

八大教材・教本『天聖經』は、メシヤが11回も通読して、認定したものです。

まさか、数多くの人間が関わってさえいれば、メシヤの認定したものに匹敵できると思うのでしょうか?

よくも簡単に、上記のようなことを書いたものです。

「神聖冒涜」とは、このようなことだと思います。


>今も、八大教材・教本『天聖經』は各家庭で大切にされ、訓読されています。


神の館である教会では、どうでしょうか?

また、家庭でも、本当に訓読されているでしょうか?

天一国経典『天聖經』と比べて、どの程度、訓読されているでしょうか?

確かに非常に高価なものですから、粗末にする人がいるはずはありません。

しかし、大切に保管されているだけではないでしょうか?

それが御父様の願いでしょうか?

どのような信仰指導がされているのでしょうか?


>天一国経典『天聖經』は、八大教材・教本を生命視しています。天一国経典には、八大教材・教本が「人類のための遺言であり、永遠の人類の教材、教本である。霊界に行っても学ばなければならない」という御言が収録されています(天一国経典『天聖經』1449ページ、『平和經』991ページ)。このみ言が天一国経典『天聖經』や『平和經』に明記されている理由は、「八大教材・教本」を重要視しているからにほかなりません。


「生命視している」「重要視している」というのは、「御言が収録されている」「明記されている」とは次元の違う問題です。

本当に、そのように実践されているでしょうか?

信仰指導されているでしょうか?

「口先だけ」のことは、「偽善」とか「嘘」と呼ばれることになります。


>もし、八大教材・教本『天聖經』を改竄する意図があれば、八大教材・教本を回収し廃棄したでしよう。しかし、それは廃棄されず、今もさまざまな出版物に引用されています。


回収するには、非常に高額の弁償が必要であり、持ち主の同意も必要です。

できるはずもない話を持ち出すのは無意味であり、しかも持ち主を侮辱しています。

廃棄されないことと、「生命視される」「重要視される」ことには、天と地の距離があります。

また、本当に、さまざまな出版物に引用されているのでしょうか?


>お父様の聖和後、お母様は2000年以降の御言を含め、お父様の生涯全体の御言を整理していかれました。それは、「八大教材・教本」以外の御言を集めて、分派が「御言集」を作成して勝手に公表し、分裂と混乱を引き起こすことを未然に防ぐことになりました。事実、「お父様の聖和後、御言集を出そう」と準備をしていた霊的集団があります。


滑稽です。

御母様が霊的集団と同じことをしたことが述べられています。

動機が何であれ、二つ目の経典を作れば、分裂と混乱を引き起こすのは同じです。

「未然に防いだ」のではなく、「先回りして引き起こした」ということです。


(お問い合わせ先:sanctuary.saitama@gmail.com)