から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
自分の一族を犠牲にさせて、私自身が喜びで犠牲になって越えて行かなければならない。
私が正直な話としてニ三日前清平を離れなければならないことを考えたが、気運がサーっと!聴衆が誰であれすべて見えない。そうして夕焼けが訪ねて来るのだ。暗闇が訪ねてくる。何統一教会が今後行く道において王になるのか?王を代身するのか?どのようにしなければならないのか?自分のすべてのものを、統一教会のすべてのものを犠牲にさせて、自分の一族を犠牲にさせて、私自身が喜びで犠牲になって越えて行かなければならない。
私がこの道に出るようになる時、楽に出て来なかった。楽にするために出て来なかった。今まで楽な日がなかった。今や平和の王権が訪ねて来るとそのてっぺんに上がって全てのものを放り投げて私だけ考えて生きるのではない。そうなりやすい。最後になっては自分がどのようであれ環境与件の絶対的な権限を神様の代わりに、先生の代わりに立てようとするなというのだ。
兄弟とともに同じく争って勝利の足場をつくっておいて条件にかからないようにしてからはそのような言葉をしても通じるのだ。
深刻な「万王の王」と比べて、「氏族の王」は「自由と責任」を安易に考えられないと思いました。
何回でも供え物になって何回でも死の道を行くという心を持って対してみなさい。
皆さんの一族、お母さんお父さん、査頓(姻戚関係)八等親までも統一教会に入ったのを賛美してあげて訪ねて来て我々が反対するがあんたたちがどのようにこの道まで探しに来たのかというのだ。反対する人が訪ねて来て尋ねなければならない。いまだにそのようになっていないじゃないか?
外的な世界に出て伝道した、自分の一族、お母さんお父さんのために、兄弟のために・・・。反対に逃げるために迫害を受け泣きわめいてした、助けるために泣きわめいてした?お母さんお父さん以上お兄さん以上、私を殴り殺そうとナイフをもって脅迫もしながら行けないようにしたことと同様にみ旨を知ったとすればそれ以上をしてでも。―憎くてではない。―愛の心を持ってそうたりうる、何回でも供え物になって何回でも死の道を行くという心を持って対してみなさい。崩れていくのだ。そのように生きることができなかったのか?