魂の成長
「秀のブログ」8月9日付「サンクチュアリ教会への福音」から引用させて頂きます。
>江利川女史の脱会届けに呼応してか、日本では以下の文(メール)が全食口宛てとして発せられた。
>今後、同氏およびサンクチュアリ教会のメンバー等による勧誘等により、信仰的に悪影響を受ける被害を防ぐために、公文を全国に配信予定です。
先日の公文では「彼らを救うために」という偽善的な表現でしたが、「悪影響を受ける被害を防ぐために」という本音が書かれました。
しかし、「信仰的に悪影響」とは、何でしょうか?
自分と違う考えの人と授受作用できなければ、伝道などできないでしょう。
それが正しい信仰指導でしょうか?
「2015年7月26日 亨進様 英語説教 『魂の成長』(Spiritual Growing)」 には次の部分があります。
>心の奥深く尋ねて行くとそこには「不安」があるというのです。不安に溢れているのです。
>深層には泥水が流れる。魂の夜の闇の中、神様は私たちをその泥水のある場所に導かれるのです。そしてそこで何かを学ばせようとなさるのです。そこで何を学ぶのでしょうか。自分自身の事に限られる訳ではありません。
外から影響を受ける以前に、既に私達の心の奥深くには「不安」があるということです。
「献金できない私の家庭は大丈夫だろうか」
「解怨できない私の先祖は大丈夫だろうか」
「神山会長に続いて江利川会長も離れた統一教会は大丈夫だろうか」
「顕進様に続いて亨進様も離れた真の家庭は大丈夫だろうか」
「2015年7月22日韓国語説教 “奥深い信仰”」から引用します。
>コリント人へ第二の手紙12章9節には、
「私の力は弱いところに完全にあらわれる。」それだから、キリストの力が私に宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
>その弱点を見ないといけません。その弱点を見れば、神様が私たちに啓示を下さる時間になるかもしれません。啓示、感動、信仰の賜物、知恵を下さる時間。
神様の願われる意思を悟れる信仰の賜物を受け取れることでしょう。
>私たちは信じてドアをノックし続ければ神様がドアを開けて受け入れようとされる瞬間があります。ドアを開けて入れと言ってくださる時がきます。そのときに私たちは信仰に入っていけるのです。そのとき、神様は役事されるのです。アージュ
日本統一教会が言う「危機を機会に」と同じように、今の時は「魂の成長」のために大きな機会が訪れています。