「天才」は、「問題意識」があり、「キリスト教」まで来ましたが、「原理」「祝福」まで来れないのは気の毒です。(と考えて、自分の恵みに感謝します。)
次の過去記事があります。
「ボブ・ディラン インタビュー大全」から引用します。
生命に耳を傾けるほかの人とは違った方法を身につけたんだ。
当時の経験から、今の俺の耳が作られた。些細なことに耳を傾ける習慣が付いた――
ドアをバタンと閉める音とか、
車のキーのジャラジャラいう音とか。
木々を通り抜ける風の音、
鳥のさえずり、
足音、
釘を叩く金槌の音。
周囲にある何気ない音だ。
牛がモーと啼く音。
俺はこれら全部を繋げて歌にすることができる。
生命に耳を傾けるほかの人とは違った方法を身につけたんだ。
御父様の自叙伝(50~52頁)から引用します。
森の中にいれば心が澄んできます。
木の葉がしきりにカサカサする音、
風が葦を揺らす音、
水場で鳴くカエルの鳴き声
といった自然の音だけが聞こえ、何の雑念も生じません。
自然が話しかける音を聞くのです。
松の木が出す音、
草むらの虫が発する音……。
そうやって私たちは友達になります。
私は幼い頃から山や野原を飛び回って、自然の音と交感する貴重な能力を与えられました。自然はあらゆる要素が一つのハーモニーをなして、偉大で美しい音を作り出します。
春の雨はぽつぽつ降り、
秋の雨はぱらぱら降る、
その違いを感じることができなければなりません。自然との交感を楽しめる人であってこそ正しい人格が身に付くと言えます。
「天才」であっても、「メシヤ」とは違います。
俺は小さな頃から、人生そのものが謎だと感じていた。
俺は信仰的な歌が好きだ。偽りのない真剣さに心を動かされた。 地に足が着くと同時に高揚感をもたらしてくれる。そしてメイヴィスは素晴らしい歌い手で、深みがあり謎めいている。俺は小さな頃から、人生そのものが謎だと感じていた。
「天才」(ノーベル賞受賞者)は、「問題意識」があり、「キリスト教」まで来ましたが、「原理」「祝福」まで来れないのは気の毒です。
(と考えて、自分の恵みに感謝します。)