「外側だけうまくやって、 中に心がない」
真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: 韓国青年たち50、冬の修練会質疑応答 ◆ 天一国妍雅二代王妃◆ 2023年2月24~26日 華陽韓国青年修練会
(質問用紙2の部分)から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
「私はこんなにも正義にあふれた人間だ」
私が申し上げることは、私がどのように主を信じる者として最もよく生きていけるのか、そのような姿を見せてください、ということです。 それにフォーカスして生きてください。
そのためにはパリサイ人になってはいけません。 「私はこんなにも正義にあふれた人間だ」と言わないでください。 それは神様が好まれる供え物ではありません。
「私は訓読会を一度も休んだことがない」
ある方が来られて「私は訓読会を一度も休んだことがない」とおっしゃっていました。 一度も抜けたことがないそうです。 すごいですよね。でも、それは訓読会が神様の愛より上に上がってしまっています。 だからこの訓読会を自分が毎日したということが偶像になってしまっているのです。 だから、これをどうすればいいでしょう。 これは偶像に仕えるよりも神様と愛が好きなのではない、ということでしょう。 だからそれは問題になるということです。
でも多くの人々が私が訓読会を毎日した、一度も抜けなかった、これが信仰だと思っているんです。 これは違います。 それは神様が好まれる信仰ではありません。
私の宗教心、私の義を主張する
一度考えてみなければならない問題ですよね? だからパリサイ人になるというのはどういう意味かというと、私の宗教心、私の義を主張すること。 私がもし私の宗教心と私の義を前面に出しているなら、それをもってこの人は伝道することができません。 家族を伝道することはできません。
私の一挙手一投足を見ている
なぜ家族を伝道するのが難しいかというと、本当に私の一挙手一投足を見ているからです。 私の両面的な姿が現れた時、私はどのように行動するのか、そのため家族を伝道するのが難しいというのです。
なぜ親が子供を伝道するのが難しいのかわかりますか? なぜなら、子供は親の堕落性もすべて見ているからです。
「本当に申し訳なかった、私が悪かった」
「本当に申し訳なかった、私が悪かった」と謝罪もして、また自分の義より自分の位置より、私の宗教心より子供が今何のために苦しんでいるのかを知って合わせてあげること。
「私たちはこのように信仰が素晴らしいです」
私が夫の自慢をして申し訳ないのですが、二代王様もそのようにしておられます。 例をあげると、日本ツアーがあったんですけど、ある子女が実は日本に来たくないと言っていたんです。 韓国ツアーで来たのですが、日本には行きたくないと言っていました。 でも私は知らなかったんです。 「自分はまだ信仰について考えているところなんだけれど、日本ツアーには行きたくない」ということだったんです。 二代王様がもし、子供たちを外部に見せるために「私たちはこのように信仰が素晴らしいです」と見せることをされたとしたら、信得を連れて行かれたと思います。 ところが、二代王様は「今あなたが信仰で悩んでいて、大変なら行かなくても良い。 あなたに時間を与えよう」と言いながら連れて行きませんでした。 その時全部予定されていて、チケットも全部とったんですが。 でも、それをしなかったんです。 だからもし二代王様がパリサイ人だったなら、人々に見せつけて「私の息子はこんなにも素晴らしい」と自慢しながら暮らしていたとするなら、子供たちはそれをすべて見抜きますよね。
"私が伝道しなければならないからこの人に優しくしよう"
何を言いたいかというと、"私が伝道しなければならないからこの人に優しくしよう"というのは本物じゃなくて、やってるふりばかりするじゃないですか? このコップのように。コップのように自分が外側だけうまくやって、 中に心がないじゃないですか? 全部知ってます。家族はみんな見抜いています。 他の人にはわかりませんが、家族はみんな知っているんです。 これは驚くべきことです。
私の場合、外側もうまくやっているかどうか、分かりません。