「もっと精誠を込めてもっと努力してより犠牲をすればしきりに増えて行くのだ。」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
ひと月に何人かづつ自分の友人、自分の一族をつくらなければならない。
今年から自分たちが定めた通りひと月に何人かづつ自分の友人、自分の一族をつくらなければならない。一族をつくって発展させれば希望の天国が連結されるのだ。
わが統一教会の信徒たちの手帳をつくってあげなければならない。そうして自分たちの特記事項を記録して、その次に日々が生活することを記録して・・・。
もっと精誠を込めてもっと努力してより犠牲をすればしきりに増えて行くのだ。
あらゆる精誠をすべて捧げなければならないのです。「はい。」そう、精誠を捧げたことが皆さんがあの国に行って均衡を取ることができる自分のすべての仕事の結果だ、結果。人が負債を負って生きもらい食いして生きればだめなのだ。負債を無くし、その次に助けてあげてそのように生きなければならない。そう、面白さを知らなければならない。
金儲けをする人たちは貯金通帳に貯金をするようになればひと月過ぎてふた月過ぎて、毎日のようにすれば次第に増えていくその面白さがあるのだ。そう、ひと月間節約したそれを中心に1月の月よりも2月の月、2月の月よりも3月の月にもっと精誠を込めてもっと努力してより犠牲をすればしきりに増えて行くのだ。
霊界に行くようになれば皆さんが誰を評することもできないのだ。私が何故こうなのか?休まず、人が行けば行き遊べば遊び、私の行く道が忙しい。自分の行く道が忙しいのだ。
その回数を多くすれば多くするほど大きくなるというのだ。
もやしも水を与えるようになれば水は流れるが水が流れた後にそのもやしが大きいのだ。3回の垢が付くのと4回垢が付くのと異なる。その回数を多くすれば多くするほど大きくなるというのだ。それとぴたりと同様だ。赤ん坊たちを育てることも同様だ。そのような面白さを感じなければならない。
皆さんが食口たちが動く報告だとかその報告が我が家が大きくなって私が大きくしていくというのだ。
皆さんが食口たちが動く報告だとかその報告が我が家が大きくなって私が大きくしていくというのだ。関心があればよい。どこで隣近所で何の大会があって行って見ず、そこに行った人は私と関係がないとすればだめだというのだ。