「外的に現れたその恐怖が問題ではなく、自分の心中で善悪が闘っていることが、もっと恐ろしい」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
外的に現れたその恐怖が問題ではなく、自分の心中で善悪が闘っていることが、もっと恐ろしい
天国があり、地獄があるとすれば、その天国と地獄は私の心にあります。重死と重生の分かれ道に立っている私たち、その私たちを中心として善と悪が闘っているのです。皆さんは今、終末時代に訪れてくる世界的な恐怖に震えていますが、真の人生を慕い、真の本郷の目的地を求めていこうとする人であるならば、外的に現れたその恐怖が問題ではなく、自分の心中で善悪が闘っていることが、もっと恐ろしいことを知らなければなりません。
心をしっかりつかんで闘わなければなりません。
ここで敗者になれば、永遠に悪なる父母の血肉から抜け出すことができないため、死亡世界の子女になるのであり、勝利して天が公認できる父母の血肉を受けた子女の立場に立てば、地の歴史を超越した天的な価値の世界に残る子女になるのです。ですから私たちは、心をしっかりつかんで闘わなければなりません。
父母を謳歌できる生活が生涯にわたって継続されないとすれば、彼は遮断された者であり、塞がれた立場だ
その闘いは、相対的な何かの存在が解決してくれるのではなく、自分の心中から解決しなければならないのです。それでイエス様は、天国はどこにあるのかと弟子たちが尋ねたとき、天国はあなたの心にあると答えられました。いくら良心的な人、いくら善なる人だとしても、その心が全宇宙と共に、その父母を謳歌できる生活が生涯にわたって継続されないとすれば、彼は遮断された者であり、塞がれた立場だということを知らなければなりません。
私が嫌でも、歴史はそこに向かって進んでおり、私が行くまいとしても、この世界はそこに向かって進んでいます。
行かなければならない私たちです。私が嫌でも、歴史はそこに向かって進んでおり、私が行くまいとしても、この世界はそこに向かって進んでいます。ある民族が世界の運勢に背けば、その民族を打ってでも天は追い立てるのです。ある個人がその運勢の方向を遮って行くまいとすれば、彼を打ってでも大宇宙の目的地に向かって動くでしょう。私たちはそこに向かって行かなければなりません。
また下記を思い出します。
「全てを認めて受け入れるならば、主はあなたの行く道を整えてくださいます。」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)