「水」「監獄」「私」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
水を飲みなさい
人が水を飲みなさいというのだ。水の味をどのように私が知るのか?水が砂糖よりも甘いと言える場を探さなければならないのだ。その次に何か?飲食物を食べるようになれば水よりももっと固いのが何か?それはかむのだ。監獄のような所に行くようになれば130回200回300回まで噛めば蜜のように甘い。唾をこのようにしておいて風(?)をかぶしておいてこのようにすれば甘いのだ。
二代王様の御指導と似ています。
監獄に行こうと死の場に行こうと
監獄は何かと言えば、そこは殿が休み殿がおられる所だ(?)。そこを嫌だと言わなかった。難しくても発表しなければならないし、そこが一番だと言わなければならない。監獄に行こうと死の場に行こうとそのような心をもって死んで行く人はサタン世界の支配権を越えて天の保護圏内に自動的に移して行くのだ。天国を私が願って行くのか?地獄を私が願わないと言って行かないのか?自分の姿通り行くようになっている。問題は私が怨讐だ。私が怨讐なのだ。
仮に「ワクチン強制法」ができて、罰金で済むのか、監獄へ行くのか、分かりません。
私をどのように絶対に自然屈服させるのかというのだ。
私をどのように絶対に自然屈服させるのかというのだ。泰山を越えなければならないのだが足が言うことを聞かない。こ奴の足や、行く道を何故行けないようにするのかというのだ。こ奴のサタンよ!これを越えなければだめだ。今年に越えられなければ来年に、越えられなければ老いてでも、若かった時超えられなければ老いてでも越えなければならない。老いて気運がない時超えると考えるのはいっそうのことみ旨であり何でありすべて地獄に行って置いたのだ。そのような捕虜のような運命であることを知らなければならない。サタンの捕虜兵ではないのか?
天の国の義勇軍になれなかったという事実を知らなければならない。今や戻りながら私が誰のために生きたのかというのだ。誰のために生きたのか?‘私の体のために生きた。’これではだめだ。心を中心に体を治理しながら生きなければならないし、体心を治理して女であれば女の壁も越えなければならない。
またしても「怠惰」の問題を考えさせられます。
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私が自覚する「怠惰」と「性急」が合わさって生み出すのが「淡泊」だと気づきました。
それは「客観的」とも言えますが、「軽率」にもなり得ます。
二代王様の日本巡回に当たって、「軽い気持ち」を会長が戒められました。
私への戒めだと自戒し、取り急ぎ、ここに書きます。