群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「カインのメシヤはアベルであり、アベルのメシヤはカインだ」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

摂理から見たアベルたち(1/10)

公開日 : 2021年8月23日 / 更新日 : 2021年9月10日 み言ライブラリー アベルの正道 この記事は約18分で読めます。

しかし、考えながら読むと、もっとかかると思います。
それを、私の常で、「抜粋」させて頂きます。


※このみ言は、文鮮明先生が1979年12月30日の聖日に、新しく80年代を迎えるに当たって、アベルとしての心構えとホームチャーチ摂理について、10時間にわたって語られたものです。また日本では、『摂理から見たアベルの正道』というタイトルで小冊子になりました。

しかし、私が90年に入教した後、冊子が出たと思います。
「再版」か、似ている別の冊子だったのかも知れません。
いずれにしても、その頃よりも、理解力は増したと思います。



自己を中心とする愛の伝統

 エバが堕落した原因は、第一は不信でした。その次に、第二は何かというと愛の問題、心情の問題でした。心情に到達することができませんでした。不心情だ、愛することができなかったということです。その次に、第三は天ではなかったことです。不天国だ、ということです。不天国とは何ですか?(板書しながら語られる)。


 ですから、エバは不信の人であり、不心情の人であり、不天国の人だ、このようになります。女性について言えば、信じることのできない者たちだ、愛がない、心情が天と一つになり得る愛がない、理想天国、すなわち理想がない、現実にばかりいるということです。自己中心です。


 そして、「神様を信じる前に私を信じなさい」と言います。自分を信じてほしいというのです。「神様を愛する前に私を愛しなさい。将来の天国よりも今が問題だ」と言います。

自己を中心とする愛の伝統を受け継いだということです。「私が第一だ。私だ第一だ。神様も何も、全体も何も、私が第一だ」と言います。


愛をもって感化

不信、不心情、不天国の世界の上に、神様の信義の人を立てなければなりません。不信ではなく信義の人を立てよう、その次には心情の人を立てよう、その次には天国の人、理想的な人を立てよう、このような歴史に投入する運動をするのです。

 この預言者たちが来てしたことが何かというと、世の中に従ったのではなく、世の中に従ってはいけないとさえぎったのです。国から何からすべて「行ってはならない、行ってはならない」と吹き込むのです。ですから、「これは何だ?」と蹴飛ばし、ありとあらゆる迫害をして人間扱いもしないのです。

優れた人はみな通り過ぎ、愚かな人もすべて通り過ぎたあと、病人や捨てられた人たちが結局は、「ああ、新しい世界があればどれほど良いか」と言ったというのです。

その捨てられた人たちに対して自然に信じるようにし、不信の人を信義の人にしようとするのですから、自分が信義の人として行動しなければならず、不心情の人を心情の人にしようとするのですから、愛をもって感化させなければならず、無天国、無理想の人を理想天国の人にしようとするのですから、難しく恨の多い中でも希望に満ちて喜ぶ生活をしなければならないということです。


真のアベル

アベルはかわいそうなサタン世界の僕にも劣る、そのような人たちをすべて感化させようとするので、僕の歴史、僕の僕の歴史をもたなければなりません。それを知らなければならないというのです。

 「私自身が悲惨になったとき、私はこのような段階で落胆し、絶望したが、あなたは、そのような場でも希望をもち、力強く堅固に進みましたね」、「私がこのように耐えてきたのは、他の誰も持ち得なかった信義の信仰をもち、誰も持ち得なかった愛の心情をもち、誰も持ち得なかった天国に対する理想をもったためです」、「世の中の私のような人のために、自分の命とあらゆる愛と自分を犠牲にしてでも、私のために努力した人はあなたしかいないので、私は世の中の誰よりもあなたを信じ、国よりも、世界よりもあなたのために行きます」、このようになるのです。そのときこそ、初めて「私はアベルになり、あなたはカインになるのです」と言うことができます。


真のカイン

このようにアベルが責任を果たすことによって、カインが「ああ、あなたは私の後ろに立ってください。私がサタン世界のあらゆるものに対して闘います」と先頭に立たなければなりません。一番先に立たなければならないというのです。そのようにできるときからカイン・アベルが成立するのです。


 カインがアベルに対して、「私のすべての財産やすべての所有を、あなたがすることのために捧げて犠牲にしてもよいです! 私の体まで犠牲にしてもよいです! 私が先頭に立っていきます」、こうであってこそカインが生じます。カイン、兄です。天の国のカインが成立するのです。そのカインがアベルを保護しなければなりません。兄が弟を保護できなかったことが堕落です。カインがアベルを、弟を保護する運動が起こらなければなりません。


カインのメシヤはアベルであり、アベルのメシヤはカインだ

弟がいないカインがいますか?(笑い)それがいないときは、アベルでもなく、カインでもありません。ですから、カインがアベルを決定するのは、「あなたはカインになり、私はアベルだ」とお互いに約束をしなければなりません。「あなたは私の兄になり、私はあなたの弟になろう」、こうでなければなりません。

 統一教会に入ってくると、ある人をアベルだと言うのですが、「ああ、会いたくない。ああ、あれがアベルか? 私より勉強もできず、あらゆることを見てもできず、心情で見ても、身なりで見ても、あれがアベルか?」、そのような気がするのです。(笑い)見てください。皆さんのメシヤは、カインのメシヤはアベルであり、アベルのメシヤはカインだということを知らなければなりません。それを知らなければならないというのです。それを経なければなりません。


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その後、下記を読みましたので、補足します。

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

皆さんが「先生はイーストガーデンで息子、娘と安らかに、裕福に暮らし、私たちの家庭はみな苦労している、これは何だ? 原理的に見るとき、アベルがそれではいけないのに」、そのようになっていますか?(「違います」)。先生はそれをすべて経てきたというのです。ですから、イーストガーデンを中心として、「私たちの息子、娘が犠牲になり、私たちの家庭が犠牲になっても、イーストガーデンを保護する」というカインが生じるということです。


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自分のコメントも書きます。
身近な「伝道」「人格完成」の次元と、メシヤの「摂理」の次元と、二つあるようです。
メシヤの「血統」「王権」は、一種の「約束」かも知れません。
二代王様はテネシー清平で、「真のアベル」の姿を見せて下さっています。
それに対して、自分が「真のカイン」となっていないことを自覚します。

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