「神様のことを考えると楽しく、私が間違っても、私が悔い改めたら、また見守ってくれるだろう。」
江利川会長のリマを引用します。
2021年5月19日
天基12 年天暦4月8日
おはようございます😊🙏
今日は、お釈迦様の誕生日ですね。
リマを送ります。
「後退することも前進することも、自分自身が母体である。後退する人は人も嫌うが神も嫌うのである。」
(み旨の道 実践より)
松本教会長のリマを引用します。
【患乱中ハナニム鉄杖王国太平聖代】
2021年5月19日(水)
天基12年天暦4月8日
【第2次7年路程を越えるための40日精誠祈祷】
「第35次40日祈祷」(5/13~6/21)
[天地の大道、絶対公義]より
神様は人間に対して気楽な立場で命令を下すのではない。神様はその立場を何百回も通過したのちに命じるのである。一度だけではなく、何百回も何千回もやってみてから、「やれ」と言われるのである。サタンに勝利すればこのような保障をしようという基準を立てておいてから、「このようにせよ!と命じられるのである。
1960.5.22
伝道復興委員会文責
下記の御言葉は、昨日まで5日間の記事に使い、もう終えようと思っていました。
ところが、上記の「厳しい」御言葉を読んだために思い出し、もう1日続けます。
真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: 2021聖霊大学春学期 リーダー会議◆ 二代王妃文妍雅様のみ言葉◆2021年4月29日
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
2世の方々は「堕落したら絶対だめ!」「鳩は絶対に裂かないと!」「最後までサタン分立しないと!」このように原理講義を聞きながら子供たちはとても恐れを感じるようになったのだと思います。神様の恐ろしさを先に経験したようです。だから怖いんです。
神様のことを考えると楽しく、私が間違っても、私が悔い改めたら、また見守ってくれるだろう。
「私は祝福を受けましたが、私は堕落性も多く、相手も堕落性が多く、それで祝福がダメになったのです。それで私は離婚することになりました。」ところが、こうなる場合に、2世たちがほとんど帰ってこれません。
「私が間違って高校の時に堕落をしました。」すると、ほぼ2世達が教会から離れます。
教会内に許しの文化がないと思います。恩恵の文化がないと思います。なぜなら、自分が原理講論で学んだ神様は、非常に正義の神様なので一刀で切り捨てるんです。「お前はこれくらい罰を受けなさい!」と言って。それが出来ないと摂理史が壊れるんだ!そんな非常に大きな重圧感で原理講論が迫ってくるんです。
私は聖書を通じて2つのことを学びましたが、1つ目は「愛の神様」「恩恵の神様」を学びました。「私が罪人だな、私がいくら偉くて、2世で、お父様の言うことに全て従ったとしても私は罪人だな、それはどういう意味なのか私に」 そして、私がなぜメシアが必要なのか、これらは、信仰において当然で、とても基本的なことなのに知らなかったと言うべきでしょうか。そういうことを学ぶようになりました。恩恵の神様、愛の神様に出会いました。
「矛盾」を解決するのは、「時代的恵沢」または「神様の男性面と女性面の違い」でしょうか?
「正義の神様」に従うことを努力し、最終的には「愛の神様」「恩恵の神様」に出会うのだと思います。
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リアルタイムで(当日中に)補足させて頂きます。
松本教会長のリマを引用します。
【患乱中ハナニム鉄杖王国太平聖代】
2021年5月20日(木)
天基12年天暦4月9日
【第2次7年路程を越えるための40日精誠祈祷】
「第35次40日祈祷」(5/13~6/21)
[天地の大道、絶対公義]より
神様は創世以来、鞭を取ることのできない悲しい立場に立っておられた。しかし、最後には審判をし、鞭を打たなければならない立場にあられる神様である。我々は、神様が愛の神であると同時に、公憤の心情を抱いた神様であるということを、はっきりと知らなければならない。
1958.1.19
伝道復興委員会文責
鞭の対象は、「悔い改めない悪人」だと思います。