群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

異端者マルティン・ルター 再読「見捨てられた我らの父」から



から引用します。(翻訳・掲載・出版に感謝申し上げます。)


ヘゲシッポスは次のように書いています。


「その期間まで、教会は純粋で腐敗していない処女のように残っていました。救いの説教の健全な規則を勝手に書き換えようとする人がいたとしても、彼らはまだ隠れていて、暗い場所に潜んでいたからです。 しかし、使徒たちの聖なる一団がさまざまな方法で命を落とし、自分の耳で神のような知恵を聞くことを賜った世代の人たちが亡くなったとき、その時、神なき誤りの集団が、偽りの教師たちの背信行為によって、立ち上がりました。偽りの教師たちは、使徒たちが誰一人としてもはや生き残っていないことを知って、むき出しの高揚した頭脳で、『偽りの知識』を説くことによって、真理の説教に反対しようとしました。

家庭連合で起きたことと同じです。
その前に、キリスト教でも起きました。
そして意外なことに、宗教改革の功労者にも、別の側面がありました。


中世を通して、ヤコブの手紙はキリスト教徒に崇拝され続け、キリスト教の教義をモーセの律法から切り離そうとする試みは一切行われませんでした。

この状況はプロテスタントの宗教改革によって変わりました。マルティン・ルターは、人は信仰だけで義とされるという教えを支持する中で、善い行いの効力を否定するための主要な障害となっているのがヤコブの手紙であることに気づき、彼が所持していたすべての聖書からそれを引き抜いたのです。

ルターのヤコブの手紙に対する反応は、彼の悪意に満ちた反ユダヤ主義によって組み立てられました。

ルターのユダヤ人への憎悪は、旧約聖書のデウス・アブソンディトゥス(「隠された神」)とイエスのデウス・レヴェラトゥス(「啓示された神」)を区別することにつながったのです。このようにして、彼はマルシオンとのつながりを築き、第三帝国の勃興だけでなく、現代のキリスト教徒がグノーシス主義を広く受け入れるようになったのです。


そして、異端の「信仰」の恐ろしさは、異端の「実践」を生み出すことです。


人間の真の霊的性質と折り合いをつけるためには、律法から解放されなければならないというマルシオンの信念は、マルティン・ルターが罪はもはや重要ではないと宣言するきっかけとなりました。プロテスタント改革者は次のように書いています。「愉快な仲間との付き合いを求め、酒を飲み、遊び、下品な話をし、自分自身を楽しませよう。

罪人となり、罪を強く負いながらも、キリストへの信頼を強くし、罪と死とこの世に打ち勝つキリストを喜ぶようにしましょう。

たとえ私たちが毎日何千回も殺したり、姦淫したりしたとしても、どんな罪も私たちを神から引き離すことはできません。

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