ヤコブ王(イエス様の弟)について 再読「見捨てられた我らの父」から
から引用します。(翻訳・掲載・出版に感謝申し上げます。)
ペテロの尊敬
いわゆるクレメンタイン・ホミリオン(クレメンス1世による著書)と呼ばれるキリスト教の最初の世紀のものには、使徒ペテロがヤコブに宛てた手紙が含まれており、イエスの兄弟を「主であり、司教の中の司教であり、エルサレム、ヘブル人の聖なる教会、そして神の摂理によって見事に建てられた、あらゆる場所の教会(を)統治する者(方)、長老と助祭、そして残りの兄弟たちと共に、いつも平和でありますように」と書いてあります。
イエス様の指名
原始キリスト教の唯一の支配者としてのヤコブの高貴な地位は、この一節を含むトマスの福音書によってさらに支持されています。
弟子たちはイエスに言った。「私たちはあなたが私たちから離れていくことを知っています。誰が私たちの指導者になるのですか?」イエスは弟子たちに言った。「あなたがたがどこにいようと、義人ヤコブのところに行きなさい。天と地が生まれるために。」
民衆の支持
重要なことは、ヤコブは、イエスと洗礼ヨハネを除けば、ヨセフス(AD37-100)が彼の代表的な著作である「ユダヤ古代史」の中で言及した唯一の新約聖書の人物です。ヨセフスによると、ヤコブは一世紀のエルサレムにおいて、彼自身のコミュニティだけでなく、「正統派」ユダヤ人の間でも非常に重要な人物でした。ヨセフスは、「市民の中では最も公平な人物」であり、庶民から絶大な賞賛を集めていたと書いています。
殉教
このような民衆の支持は、大祭司アナニアスの地位を脅かすものであり、大祭司アナニアスは、彼がモーセの律法に違反していて、石打ちの刑に処されるべきだと、ヤコブをユダヤ人の法廷に引きずり込もうと画策しました。
ヤコブに対する彼の怒りは、殺人的な怒りへと激しさを増しました。安息日の始まりにヤコブが神殿の欄干に現れて、人の子が「神の右手に座る」と宣言したとき、アナヌス(アナニアス)とその子分たちはヤコブを地面に投げ落としました。激しい落下の後,ヤコブがまだ生きていたのを見て,彼らはヤコブを石打ちにして,フラークラブで刺し殺しました。ヘゲシッポスによると、ヤコブは瀕死の状態で、彼を殺そうとしている者に神の赦しを求めてこう言いました。「私たちの父なる神である主よ、どうか彼らをお赦しください。彼らは自分が何をしているのかわからないのです。」この戦争で、彼の最後の言葉は、彼の兄弟の言葉と同じでした。
実績
ヤコブはイスラエルの十二部族を代表する十二人の弟子たちに助けられました。ヤコブが生きている限り、エルサレムはキリスト教運動の中心地であり続け、彼が主宰した評議会は、終末の日までの短い期間に、ユダヤ人の人々の生活の糧となり、導きとなりました。
イエスが実際に何を教えていたのか
1世紀のキリスト教の第一人者であるバリー・ウィルソン教授は、次のように付け加えています。「ヤコブのように、イエスのように。20代のイエスが実際に何を教えていたのかを示す最良の指標は、彼の兄弟であるヤコブである可能性が高いのです。ヤコブはその人物(イエス)と、彼が何のために戦っているのかを知っていました。彼は、イエスが自分たちと同じように、律法を教え、実践していることを知っていました。ヤコブの言動は、歴史上のイエスの信仰と実践に関する今日の私たちが持っている最高の手がかりです。」
パウロ主義に対する牽制とバランス
その書簡からも明らかなように、ヤコブは、キリストの贖罪と復活の業への信仰だけで、人は救われるという信念を堅持するパウロとは、イエスの教えに対する理解が根本的に異なっています。
ヤコブの手紙は、極端なパウロ主義に対する牽制とバランスをとるという重要な役割を果たしてきました。
ヤコブの手紙
ある人が自分には信仰があると称していても、もし行いがなかったら、なんの役に立つか。その信仰は彼を救うことができるか。ある兄弟または姉妹が裸でいて、その日の食物にもこと欠いている場合、あなたがたのうち、だれかが、「安らかに行きなさい。暖まって、食べ飽きなさい」と言うだけで、そのからだに必要なものを何ひとつ与えなかったとしたら、なんの役に立つか。信仰も、それと同様に、行いを伴わなければ、それだけでは死んだものである。
人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。