群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「今、楽しみにして下さい、胸躍らせて下さい。」

次の過去記事があります。

「すべては導かれている」? 「神様は負けていません」「自分の勝敗は考えない」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)


下記には、これと共通する内容がありました。


真のお父様に帰ろう!サンクチュアリ教会『三代王権天一聖殿』: ’21年4/18:テキサス英語日曜礼拝 <全文>国家があなたの血統を通してやってくる!

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)



神様の計画がある方向に進んでいる

皆さん強く戦いましたが、祈った結果にはなりませんでした。

しかし、それは神が死んだということではありません。

だからと言って神様が終わったわけではありません。

神様が諦めているわけではありません。

ただ、このことを通して神様の計画がある方向に進んでいるということです。

神様が新しい方向へ道を開いているということなのです。


私達の体を神様の肉体的代身として使わなければなりません。

人々は、聖書に「全ては神の手の中にある」と書いてある。だから、ただ言う事を聞いて何でもやらせて良い、なぜなら全ては、神様の手に委ねられているからと、言います。

しかし、神様は私たちを、神様の手足となるように作られました。ですから、抵抗しなければなりません。ただ「神に委ねる」というだけでは十分ではありません。

私達の体を神様の肉体的代身として使わなければなりません。サタンも影響を与え肉体的代身を使っていることと同じように。


今、楽しみにして下さい、胸躍らせて下さい。

いつも、もう一度やり直したいと思っているかも知れません。

しかし、重要なのことは、いつも自分はかわいそうだと思わないことです。不機嫌にならないことです。過去は過去です。過去は過去として、それを変えなければなりません。

今すぐ変えてください。今、楽しみにして下さい、胸躍らせて下さい。今トレーニングしてください。今配偶者と一緒にトレーニングしてください。その楽しみを次に積み上げなければなりません。

神様の炎で燃えて、その香りを出してください。その祝福の力が戻ってきたことを見せつけてください。明日では遅いのです。重要なことは今ということです。


お父様、真の御父母様、天一国憲法のすべてがあなたの中にあります。

今ワクワクしてください。今神様の祭司になってください。神の国の文化に今、興奮して下さい。神を賛美すると同時に、政治的サタン主義と戦うのです。悔い改めよ神の王国は近づいた。私達の中に、お父様、真の御父母様、天一国憲法のすべてがあなたの中にあります。ですから楽しみにしてください。


どのような状況にあっても

どのような状況になっても、たくさんの事が私たちを引きずり降ろそうとする、どのような状況にあっても、言い訳や、できない理由があるからとか言う、そのようなことを全て無くし、 あなたの救いの恵みに胸躍るようにして下さい。 あなたが私たちを通して今、行っておられることに興奮し、 あなたの手足となることを楽しみにさせて下さい。


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今回の内容に関連して、具体的、個人的に、有意義な気づきがありました。
(記録・記憶のために書きます。)


テキサスで、江利川会長に合流した夕食会で、山口聖殿の佐藤会長とも同席になりました。
佐藤会長は、私を見て、「シャイですね」とおっしゃり、江利川会長は「そうでもないです」と答えられました。


その「矛盾」は、内心、自分自身も自覚していましたが、お二人の話題にのぼり、改めて考えさせられました。
結論は、「私的にはシャイ、公的にはそうでもない」ということでした。


それは、これまで「自分には情熱が少ないが、与えられた責任は頑張る」と自覚していたものの再定義でした。
これまでは、「情熱が少ない」が正体であり、「与えられた責任は頑張る」は仮面であると思っていました。


しかし、今回「私的」・「公的」の分析により、前者は堕落性・後者は本性であると考えました。
「与えられた責任は頑張る」は、私の本性ですから、もっと拡大したいと思います。


それが「自分の勝敗」ではない「神様の勝利」だと思います。
(そしてテキサス訪問の収穫です。)

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