太田元講師 「パウロの回心」を願って
太田元講師は、徳野氏や小山田氏の「あやつり人形」だというのが、澤田さんの意見です。
それこそが人間として「恥ずかしいこと」なのですが、「同情」の余地もあります。
(徳野氏や小山田氏より、地位も収入も低いのに、神様からの「憎まれ役」をやらされました。)
昨日のボブ・ディランの歌は、「ののしり」の歌ですが、「ゼロからやり直せ」という「激励」が含まれているとも言えます。
このまま行けば、みじめな将来が待っていますが、今、サンクチュアリに来れば、サタンも驚く「英雄」になれると思います。
それを願いながら、「自省」して頂くために、聖句を引用します。
私の「失礼」な文章に惑わされる必要はありません。
ただ神様の御言葉と向き合えることを願います。
(結局それができなければ、信仰者として「おしまい」です。)
ヨハネの第一の手紙/ 02章 17~19節
世と世の欲とは過ぎ去る。しかし、神の御旨を行う者は、永遠にながらえる。
子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。
彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。もし属する者であったなら、わたしたちと一緒にとどまっていたであろう。しかし、出て行ったのは、元来、彼らがみなわたしたちに属さない者であることが、明らかにされるためである。
ヨハネの第一の手紙/ 02章 22~25節
偽り者とは、だれであるか。イエスのキリストであることを否定する者ではないか。父と御子とを否定する者は、反キリストである。
御子を否定する者は父を持たず、御子を告白する者は、また父をも持つのである。
初めから聞いたことが、あなたがたのうちに、とどまるようにしなさい。初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまっておれば、あなたがたも御子と父とのうちに、とどまることになる。
これが、彼自らわたしたちに約束された約束であって、すなわち、永遠のいのちである。
ヨハネの第一の手紙/ 04章 03節
イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。
ヨハネの第一の手紙/ 04章 06節
しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。
ヨハネの第一の手紙/ 04章 15節
もし人が、イエスを神の子と告白すれば、神はその人のうちにいまし、その人は神のうちにいるのである。
ヨハネの第一の手紙/ 05章 12節
御子を持つ者はいのちを持ち、神の御子を持たない者はいのちを持っていない。
「韓氏オモニ」という「反キリスト」から離れ、「キリストの権威に戻る」ことを願います。
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