から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
◆リマです。エペソ人への手紙4章1節~7節です。
4:1さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、
4:2できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、
4:3平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
4:4からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。
4:5主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。
4:6すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。
4:7しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。
獄中での手紙です。キリスト教がそうで、特に私たちがそうですが、選民ですね。選民は優れているからではなく、神様が他の人よりもより愛しているからではなく、世界を救う神様の道具として召された人々です。ですから一段階高い水準で生活しなければなりません。
ですからパウロはこのようなことを言ったようです。ですからお互い忍耐心を持ってお互いに許し理解し合えるようにしなさいと手紙に書きました。
「論戦」を見ていると、赤字とは違う感じです。
しかし、個人差があり、「言論の自由」もありますから、仕方がありません。
そんなわけで、下記も、「排除」せずに、読み進めることにしました。
239頁から引用します。
人はみな、生まれ持った背景や、背負っているものが違います。
今、みんながここにいるのは、意味があって、いるのです。
玉木円四郎さんのコメントに感謝しながら、井田講師の説教のネタバレ - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から玉木さんの言葉を引用します。
自分という存在が神様にとって何者であり、それゆえどうして神に喜んで頂くべきかを知ることは、
各自にとって人生の難問でしょう。
kijoksoriのブログから、中村さん・森さん・菅井さん・自分を考える - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から自分の言葉を引用します。
私は「自由と責任」が全てを解決すると信じています。
上記の方々を始め、様々な「関係」の中で、それが実現すると信じています。