群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

「世界を救う神様の道具として召された人々です。ですから一段階高い水準で生活しなければなりません。」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

◆リマです。エペソ人への手紙4章1節~7節です。


4:1さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、

4:2できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、

4:3平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。

4:4からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。

4:5主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。

4:6すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。

4:7しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。


獄中での手紙です。キリスト教がそうで、特に私たちがそうですが、選民ですね。選民は優れているからではなく、神様が他の人よりもより愛しているからではなく、世界を救う神様の道具として召された人々です。ですから一段階高い水準で生活しなければなりません。


ですからパウロはこのようなことを言ったようです。ですからお互い忍耐心を持ってお互いに許し理解し合えるようにしなさいと手紙に書きました。


「論戦」を見ていると、赤字とは違う感じです。
しかし、個人差があり、「言論の自由」もありますから、仕方がありません。


そんなわけで、下記も、「排除」せずに、読み進めることにしました。

239頁から引用します。

人はみな、生まれ持った背景や、背負っているものが違います。

今、みんながここにいるのは、意味があって、いるのです。


玉木円四郎さんのコメントに感謝しながら、井田講師の説教のネタバレ - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から玉木さんの言葉を引用します。

自分という存在が神様にとって何者であり、それゆえどうして神に喜んで頂くべきかを知ることは、

各自にとって人生の難問でしょう。


kijoksoriのブログから、中村さん・森さん・菅井さん・自分を考える - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から自分の言葉を引用します。

私は「自由と責任」が全てを解決すると信じています。

上記の方々を始め、様々な「関係」の中で、それが実現すると信じています。

井田講師が講義をされる時には、御母様が共にいらっしゃる、と考えて間違いないと思います。

「後から来た」康賢實御母様 ~ 「昨年の大切な御言葉」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から森さんの言葉を引用します。

私の言うことが理解できないかもしれませんが 康オモニを堕落人間と比較してはいけません。

 後から来られようが 先におられようが お父様が呼ばれたから来られたのであって

 なんだかんだと堀さんが言える立場ではありません。

念のため、赤字については、同意できないことを明言しておきます。
「真に神様を愛しているものは誰か。 神様の恵みのみを愛する者はだれか。」という論点について、康オモニは「良い例」であり、「比較」は私達の教育になり、私は「言論の自由」を持っています。
しかし、今回の「注目点」は黒太字です。



まずは、古い翻訳です。

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

韓鶴子はバビロンの売春婦です。 しかし、康賢実お母様はすべてを捨ててキリスト中心の人生を生きたため、勝利を得られました。彼女は母の良い模範になりました。


次に、新しい翻訳です。

から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

真のお母様は、太陽(真のお父様)を中心にして回転しなければならなかったんです。 韓マザーの堕落は、彼女がバビロンの淫婦になり、古代のサタン的なイデオロギーを受け入れたことを証明しました。


康賢実・真のお母様は、すべてを捨てて、キリスト中心の人生を生きたため勝利を収めました。

真のお父様は聖霊を通じて康賢実・真のお母様を探し立て、ここに送ってくださり、私に康賢実・真のお母様と霊でいらっしゃる真のお父様を肉身レベルで祝福する権限を下さいました。

そして、すべての障壁を乗り越え、最後まで信じるキリスト中心の人生を生きてきた真のお母様に仕えるようにしてくださいました。

それがどれだけもの凄い事なのか計り知れません。

康賢実・真のお母様は、90歳で命をかけて全てを捨て、真のお父様の血統と王権に侍るために来られました。

そして、彼女が求めてもいない、自分の位置だと思ってもいない真の母の位置の栄光を受けることになりました。 彼女は母としてのよい模範になりました。

青字は、「良い例」であり、「比較」すれば私達の教育になる、と言うのは私の「言論の自由」です。
しかし、今回の「注目点」は黒太字です。
私は、「公平でありたい」気持ちがあるので、森さんの言葉を裏付けました。
その上で、今回の「論点」に移ります。



から自分の言葉を引用します。
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2月の訪米でも、「命がけ」で私達を激励して下さった、御母様に感謝しながら、「最後の肉体の別れの挨拶」をさせて頂きます。

天一宮の2階から、無理をして下りて来て下さったのは、井田講師と会えた喜びからだった、と知りました。
「ためらった」としても、井田講師は間に合いました。
井田講師が講義をされる時には、御母様が共にいらっしゃる、と考えて間違いないと思います。

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「間に合った」のは、2016年2月13日ではなく、御母様との面会です。
黒太字は、「事実」です。
青字は、私の「言論の自由」です。

中村さんは「戻る期限に間に合った人」です。実は「後から来た人」ではありませんでした。

「後から来た」康賢實御母様 ~ 「昨年の大切な御言葉」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
の「リアルタイム追加」から引用します。

中村さんは、私から、ある人を経て、聖酒をお渡ししました。

「ある人」に確認するのが遅れて、この記事も遅くなりました。
中村さんは「戻る期限に間に合った人」です。
実は「後から来た人」ではありませんでした。


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(長い蛇足)


私は、「神学」の興味があまりありません。
ですから、中村さんと菅井さんの両方とも、「議論」を良く把握していません。
ただ「国語」と「論理」を使って、以下についてだけ述べさせて頂きます。



から引用します。


99頁

したがって、イエス様のときと同じように、真の母と祝福家庭が責任を果たせず、新婦を失われた文鮮明先生は、その蕩減復帰の代価として ご自身の肉身を捧げられたということになります。

私は「抜粋」しませんでしたが、原書では、この後に次が続きます。

以上のように、文鮮明師の聖和現代の十字架であり、真の母と祝福家庭たちの不信によって生じたことだったのです。


上記は、「聖和の意義と価値」について述べており、下記は、「聖和の日時」について述べています。
上記、御父様の「蕩減復帰の代価」としての自主的な「十字架」と、下記、カイン・アベル「一体化の条件」は、矛盾するものではなく、両者ともに、「復帰摂理の勝利」のためである可能性があります。



から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)

↓↓ 2015年6月3日回答2:亨進様及びサンクチュアリ教会本部聖殿宣教本部 ↓↓


天基3年天暦7月17日(陽2012年9月3日)午前1時54分のお父様のご聖和時期が、果たして神様が本来願われた日時だったのか、

それとも特定の人物、或いは不特定多数の人の失敗の結果として現実となった日時だったのかの問題について亨進様の見解をお伺いしました。


結論から申し上げますと、それは前者が正しいとのことでした。

たとえお母様(韓氏オモニ)がお父様のご聖和後に選択を間違い、サタンと一体になることがあったとしても、カイン・アベルが一体である以上は復帰摂理が同世代において勝利できるのです。


これが勝利条件となって、お父様は3ヵ月後の天暦7月17日をご聖和の日時と定められたのです。