群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

私ども夫婦は、2015年8月30日に米国サンクチュアリ教会本部で行われた「真の御父様の聖和3周年記念礼拝」(蘇生期・真の基元節)および「真の御父様の権威に戻るための祝福式」に参加し、同日の夜、日本において「真の御父様の権威に戻るための祝福式」を行うための、任命の祝祷を受けました。
2015年12月30日にCyberサンクチュアリ人協会の会長を辞め、文鮮明真の御父母様・文亨進二代王様・文國進監察総監様の側近である江利川総会長の下で働くため、日本サンクチュアリ協会に移籍しました。

玉木円四郎さんのコメントに感謝しながら、井田講師の説教のネタバレ

(昨日は「雨天のため」、高崎駅前街宣の中止を、「準備担当者」として決断させて頂きました。
精誠を重視する「食口らしさ」が無いかも知れませんが、「私らしさ」のご参考です。
前置きの前置きでした。)


前置きとして、自分の「無意識世界」の告白です。
9月1日の記事の、「リアルタイム追加」から引用します。
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観光客でないんだから 献身者でなかったとしても 献身基準で頑張ってください!!!

壮年壮婦とか関係ないでしょう!!!やるかやらないかだけなのです。

鋭いご指摘です。
そういうわけで、「聖和委員会委員長」「北関東エリア世話人」を務めさせて頂いているのだと思います。
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この時、頭では、青色(肯定的)と赤色(否定的)を交換すべきかと考えました。
しかし、心がしっくりせず、そのまま(最初の直感のまま)にしました。
その理由を、今回悟りました。
私の心(邪心)は、「観光客」として「楽をする」ことを好み、「組織」の「責任分担」を嫌っているのだと思います。
しかし、4月27日の記事では、次を書きました。

「与えられた責任は頑張る」は、私の本性ですから、もっと拡大したいと思います。

前置きを終わります。


9月2日の記事に頂いた玉木円四郎 さんのコメントを引用させて頂きます。

堀さんは大泉さんと並んで重要なみ言をピックアップするのがサンクチュアリでは最も得意な方ですね。

どうでしょう。

例えば「御旨の道」の分類のキーワードや、原理講論の索引などを手がかりに、

み言を理解するのに必要な重要なキーワードを選んで、それに関連したみ言を探して整理して、

お父様のみ言による「み言重要用語解説集」のようなものを纏めて貢献されてはいかがでしょうか。

中村さんなんかもそうしたことで堀さんと仕事をされたほうがずっと活躍できると思います。

自分という存在が神様にとって何者であり、それゆえどうして神に喜んで頂くべきかを知ることは、

各自にとって人生の難問でしょう。

私から見るとそのような貢献の仕方も、堀さんという個性真理体を神が造られた創造の動機の一つではないかと勝手ながら感じることがしばしばあります。

ご活躍をお祈りいたします。

私(そして皆)の「無意識世界」の課題を、顕在化して下さいました。
具体的提案まで頂いたことが刺激になりました。


私は、昨日の記事のように、「60(歳)以上」を理由に、「楽をする」ことを考えながらも、「それではいけない」という良心の呵責も感じていたところでした。
お陰様で、「今からでも何かをしよう」という気持ちになりました。


私は、実は「知的」以上に「意的」なので、別のことを考えるようになりました。
それは、8月29日、群馬教会の日曜礼拝、井田講師の説教の「ネタバレ」になります。
井田講師は、ご自分の地元に「神の国」を作る計画を語られました。


元々、私は、群馬に引っ越した時、「群馬ファーム」が「農業」を中心とする「コミュニティ」として、「神の国」に近いと思っていました。
井田講師は、「地方自治体」として、「神の国」を語られました。


私は、「農業」よりは「政治」の方が、適性(好きでなくても経験)があります。
一昨日の記事のように、「信仰の同志」として、井田講師に「ついて行く」ことが良いのではないか、と考えています。


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(蛇足 または 補足)


「地方自治体」には、「自治体の憲法」と呼ばれる「自治基本条例」が制定される場合があります。
これは、左翼に利用される場合が多いので、私が議員だった時、勝共連合の指導を受けて、他の全議員が賛成する中、たった一人で反対した経験があります。
しかし、「神側」のものにすることができれば、「神の国」への手段になると思います。


次の過去記事もあります。

「限られた人生」「真の父による母の復帰」「地方から始まる天一国」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)

「人事措置だ。歳が多い人は若い人として、50代以内に!」


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)



1.50代以内に!

 明日からは全面的な人事措置だ。歳が多い人は若い人として、50代以内に!そのためにそのような人を挙げて・・・。郭錠煥、準備しなさい。

「若さの力」は全ての若者達に期待されます。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した御言葉を再掲します。

50以上手を挙げてみなさい。60以上!すべて峠を越えた人たちだ。

50代は残されて、60以上は外されたようです。
「論戦」に少しだけ参加します。 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
から自分の言葉を引用します。

話の流れで、恥ずかしながら例をあげると、訪米のトランプ応援中に、「勝手な行動をしている」と思われていたと最近知りました。

「体の悪い人は、別に精誠を捧げても良い」と言われたのを条件に、確かに楽をし過ぎたかと思います。

今年も「誘惑」を受けそうです。



2.韓国語勉強

 交替結婚をした人たちは、日本人は日本の言葉をすればだめだ。一日に一言ずつ、朝に一言すれば、朝食をとる時学んで30分、こうして120分しなさいというのだ、一日に。30分、またその次に昼食をとる時に30分、夕食を取る時30分、夕食を取って寝るのか?夕食を取る時してから寝る時30分、3×4=12,120分づつ一言づつ毎日すれば3年であればいくらか?

今回‘神様の理想家庭と平和世界のモデル’全文に対したものを中心にしてそれは従わなければならない。先生が120か所を通いながら5回以上したとすれば6百回読んことになるが、皆さんは10倍である6千回以上読んで全部くるくると覚えなければならないのであり

一昨日の記事の対策です。



3.共産主義的?

 そのために国民を中心に思い通りお金が残ることを中心に生活できる上中下、こうであれば中の生活を中心に標本にして上は中に合わせなければならないというように合わせなければならない。国家が調整して食べて生きる所はともに食べて生きなければならない。一つの家庭ではないのか?ご飯の時になれば食口になればともに食べなければならないし、お父さんお兄さんが異なる?同じものだ。勿論そこでおじいさんのご飯、お父さんのご飯、先に生まれたので先にもっとあげるだけであり、兄が先であれば先に与え、弟は後で与えるのだ。秩序を守らなければならない。このように共同的な生活の比準に合わせて行く時になるのだ。

本来「誰かに頼りたいと思います。」というタイトルで準備した過去記事
で引用した御言葉を再掲します。

 その次からは国を中心として分配するのだ。国民たちにできの良い人であれできが悪い人であれ分け与えて新たに出発するのだ。

「人類一家族」は、その通りです。
ただ、「政府」に気をつけないと、「自由と責任」を失うと思います。



4.御父様からの悪口

 先生が120か所で講演した平均時間がどれくらいかと言って、それを組んでそのような熱意をもってそれ以上しなければならない。先生の記録が16時間47分であるがということだ。夜を通していきながら話すことは普通だ。その伝統に従わなければならない。父母様の息子娘という皆さんの何そのままその通り雑種犬、顔に糞をつけて通う雑種犬になって・・・。糞が付けば糞犬(雑種犬)になり、小便がくっつけば小便犬、そうじゃないか?そうでないか?雑種なものは雑種犬になるのだ。フリーセックスをすればフリーセックス犬、ホモをすればホモ犬だ。

上記1のように「もう60以上だから」と言っていると、御父様から悪口を浴びそうです。
(それを条件に、許して頂ければ良いのですが。)

「カイン・アベル」とか「中央集権」とかではなく、「信仰の同志」という概念の御言葉です。


から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)



真の父母を思慕 ⇒ 真の愛 ⇒ 伝道

 そのために先生に対する思慕の心情が誰よりも懇切な人は迫害が多ければ多いほど、サタンが来て反対すれば反対するほどその思慕の熱が落ちることがなく、思慕の熱がもっと強くなるというのだ。そのような男たちは知らない。女たちはよくわかる。


 そうしながら何かと言えば、真の父母!真の父母は何かと言えば、真の愛だ!簡単なのだ。真の愛!その次に真の愛をもって何かと言えば、真の後孫!このように考えるのだ。だから伝道しなければならないという考えも持つのだ。


 そのために反対よりも反対されうる反対の結果として街頭に行った人を置いて、あるいは近所に探して入って夜を明かしながら自分が恩恵を受けることを逃さないために伝道して話すのだ。み言葉は自分も知らないみ言葉をして環境に大きな成果をもたらすことなどがある。統一教会の何も知らない人が伝道に出てそのような体験を多くした。

「伝道」ができないということは、「思慕」が足りないということだと言えます。



先生はしきりに発展していくのだ。

 それが昔に自分が初級段階に思慕の心を持ったというが世の中が流れと同時に先生も発展していく。先生の時が発展だ。先生を信じ思慕することがいつも同じ基準にあるのではなく先生はしきりに発展していくのだ。昔思慕したそのような思慕の基準を中心にしては自分自身がもっと思慕しようと思慕する心が出ないのだ。


 そのために会う場を失うなというのだ。遠くなれば遠くなっているほどにもっと近く行ってもっと考えることができるみ言葉を学べと言うのだ。

霊界の御父様と共に、二代王様も発展します。
今の時代は、インターネットで学べることが感謝です。



先生に近い人がおれば助けてあげる

 そのために皆さんにおいてみ旨を志向するところにおいて個人時代、家庭時代、氏族時代、民族時代、国家時代、世界時代の中のどのような時代に私が処しているのかということを知らなければならない。そのために自分たちが多くの食口、信仰生活を長くした人にあって見ても彼らの経験談を聞くようになる時、自分がどのようなクラスにいるということがわかる。それでは経験が多い人を先生の代わりに、思慕できる心が小さくなればその人をそのように思慕しろというのだ。思慕し助けてあげなさいと言うのだ。


 先生に近い人がおれば助けてあげるようになればその助けを受けた友人が、先生の為にする心を抱いて自分が助けを受けるというようになれば二人が合わさるようになるのだ。合わさるようになることによってその友になった人や、その友を思慕する食口や、二人が合わさって議論するのだ。


 議論をするようになれば‘今日は何のみ言葉か?’という時は尋ねてみることができ、授受し答えることができる相対基準になるのだ。‘今日このみ言葉はこのようなみ言葉であり、あなたにに対してはこのような言葉であり私に対してはこのようなみ言葉なので二人が合わさればこのように良くなりうる。だから一つになって私たちが一緒に出てみよう。’というようになるというのだ。このように信仰の同志をいつも尋ねて行かなければなりません。そうでなければつらい。わかるか?「はい。」

「カイン・アベル」とか「中央集権」とかではなく、「信仰の同志」という概念の御言葉です。



蘇生級の同志、長成級の同志、完成級の同志

信仰の同志を蘇生級の同志、長成級の同志、完成級の同志に3種類を分けて自分の垣根をつくって行けというのだ。


 そのような人は蘇生で讒訴を受けたとすれば長成について行くのだ。私はそうだったので自らが好む所に私が行かなければならないというのだ。その次に長成で侵害されたとすれば完成に対して‘あなたが好む所に私はついて回らなければならない。’としなさいというのだ。