「侍義時代」の二代王様に感謝します
旧約聖書と新約聖書を分断する左派キリスト教徒 ■キングスリポート10月4日,5日(2日分)から引用します。
私たちが午前の太陽と午後の太陽を切り離して考えられないように、私たちが神様のみ言葉である旧約と新約を切り離して考えられないのです。
そして、新約と成約も切り離して考えられません。
原理講論218~219頁から引用します。
蘇生復活摂理は、神がこの時代の摂理のために下さった旧約のみ言を人間が信じて実践することによって、その責任分担を成し遂げ、義を立てるように摂理されてきたのである。ゆえに、この時代を行義時代ともいう。
長成復活摂理は、神がこの時代の摂理のために下さった新約のみ言を、人間が信じることによって、その責任分担を完成し、義を立てるように摂理された。ゆえに、この時代を信義時代ともいう。
完成復活摂理は、新旧約を完成するために下さる新しいみ言(これは、成約のみ言であるというのが妥当であろう)を、人間たちが信じ、直接、主に侍ってその責任分担を完遂し、義を立てるように摂理なさるのである。それゆえに、この時代を侍義時代ともいう。
10月11日の当ブログから引用します。
生前の御父様が、「人間の責任分担」「蕩減」に重点を置いていた
御父様ご自身が肉身で働き、私達も共に苦労しました。
御聖和、そして、康御母様との完成祝福以降の時代は、「新約的」でよいのではないかと思います。
あるいは「他力本願」というほど、「無限界お父様」に頼るべきかと思います。
「信義」の部分です。
「侍義」の部分は、地上における御父様の代身者、二代王様に侍ります。
ここで、本当に良かったと思うことは、二代王様が「神様・キリストとの関係」を強調されていることです。
「人間信仰」「組織信仰」に陥らなくて済むからです。
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(付録)
ちなみに「組織」は、「信仰」の問題ではなく、「主権」「所有権」の問題です。
そのために「信仰」は同じでも、複数の「組織」が認められています。
ですから「主権」「所有権」を尊重しなければなりません。
それは「透明性」の強い組織だったとしても同じです。
外から「見る」ことができるに過ぎません。
たとえば、あるお父さんが、隣の家の子供達に、「君たちの家は、こうした方がいい」などと言ったら、「余計なお世話だ」と言わざるを得ません。
どうしても言いたいなら、隣の家の親に言うべきです。
言えないのは、「余計なお世話だ」と分かっているからです。
それなのに子供達に言うのは、子供達を馬鹿にしています。
そうでなければ、本人が馬鹿です。
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