「私は、神様の前に祈祷して、願うことができることが何か?」
から引用します。(翻訳・掲載に感謝申し上げます。)
地獄と天国の海を飛んでいける翼を持たなければならない
翼があるために鳥です。そのを越えることができ、自分が眺める海も越えて行くことができます。皆さんも地獄と天国の海を飛んでいける翼を持たなければならないが翼がありません。私が我が家に今現在オウム1つがいを置いて見るが、私がどこに行って来ればチュンチュンと挨拶します。私はどこかに行って来ればあんたを忘れて来たが、それらは主人が来るとチュンチュンと挨拶をするのです。
後述の「精誠」が「翼」であるかと思います。
私は神様の前に祈祷して願うことができることが何か?
私がスイカの種を持ってきてあげるが、それを咥えて殻を割って食べることがどれほどつらいかわかるか?殻を割って食べようとどれほど苦労か。その皮の中での中まで一緒に落ちます。皮も落ち、中まで落ちればそれを眺めて
私を見て‘もっとくれるか?’と待つのを見る時
‘‘育つ生命はあのように主人を知って、主人の前に要求できるのを焦がれて待つが
私は神様の前に祈祷して願うことができることが何か?
願うものを祈祷もできない私ではないのか?
と言って学ぶ。だからそのオウムたちをありがたく考えます。
御父様の謙遜に驚きます。
精誠を尽くしたことの前には屈伏と言う言葉がなく、どの様な強いものもそこに自動的に順応の道理が芽を出す
そこでどこかに行って来てその部屋の門を開ける時は‘や、よくいたのか?’と言って私が先に挨拶して入ります。そのようなことを見る時‘精誠を尽くしたことの前には屈伏と言う言葉がなく、どの様な強いものもそこに自動的に順応の道理が芽を出すのだ!私あんたから学ぶ。’とするというのです。
「屈伏」よりも「順応」が良いようです。
起点に侍って行く人は福に満ちた場にいる
朴ウオングンはどのように見るようになれば無学な者です。先生がしなさいということをして生じるのが何があるのか?過ぎし日にむなしく過ごした歳月をしたことよりもこのように生きてみると数か月過ぎたその期間に得られた事実が一生に想像できなかった収穫もでき、想像できないそのような福の因縁が連結されるのを見ると起点に侍って行く人は福に満ちた場にいるということを忘れてはならないということを警告してあげるのです。
「シンデレラ」の姿だと思います。
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「自分のレベルを知らなければならない」~「あなたは腰に帯して、男らしくせよ」 - 群馬県高崎市白岩町サンクチュアリ教会(元・埼玉サンクチュアリ教会)
で引用した、妍雅二代王妃の御言葉を再掲します。
神様、どうしたら良いですか?
第一祝福は、第二祝福の訓練だと私は思います。
私に本当に大変なことや難しいことがある時
「神様、どうしたら良いですか?
お父様私は本当にどうしたらいいのでしょうか、私は本当によく分かりません」
このように神様に、疑問があるとして自分が謙遜な姿勢で尋ねることができるのか、
神様に質問しながら神様とともに答を探したり、
ある時は答えをなかなかくださらないこともありますが、それでもそんな姿勢ができているのか。
それが第一祝福だと私は考えます。